改訂新版 世界大百科事典 「ニンポー」の意味・わかりやすい解説
ニンポー (寧波)
Níng bō
中国,浙江省東部にある省直轄市。人口157万(2000)。杭州湾の南岸東端,天台山に源をもつ甬江(ようこう)の下流平野にある。唐代に市の南西にある四明山にちなんで明州と呼ばれてより,その名で知られる。杭州湾南岸平野は,温暖な気候と豊かな土壌に恵まれ早くから稲作農耕が発達し,市の西,余姚(よよう)県にある河姆渡(かぼと)遺跡は中国南部で最も早い新石器時代遺跡として著名。春秋時代には会稽(紹興)に中心のあった越の後背地であり,秦・漢には句章(こうしよう)県,鄞(きん)県,鄮(ぼう)県等が置かれ会稽郡に属した。その後隋・唐に至って,これらの都市の中間にあたり,甬江と余姚江の合流点である現在の位置に,これまでの県を合併して鄮県が設けられ鄞州が置かれた。南北朝期における農業開発と,新しく海洋との結びつきが重視されるようになった結果であろう。州は開元年間(713-741)に明州と改められ,県も五代の呉越のときに鄞県と改められた。南宋には寧宗(在位1194-1224)の別荘があったため慶元府とされ,元には慶元路となったが,明に再び明州とされ,清になって寧波府と改められた。市が設けられたのは1949年。
ここは地勢や海流,風向などの条件から,南シナ海(南海)・東シナ海(東海)の海上交通が集中するところで,とくに隋・唐以来,中国の最も重要な海港の一つとして繁栄した。日本も遣隋使,遣唐使以来,鎖国に至るまで多くの船が来航した。宋代には市舶提挙司が置かれ,海外貿易の基地となった。宋・元の時代には日本の禅僧がこの地に遊学し足跡を残した。明代には勘合貿易の入港地であったため,使節が滞在する嘉賓堂が設置されていた。また倭寇が猖獗(しようけつ)するとその攻撃に悩まされた。このような貿易商業を背景に前近代より資本の蓄積がすすみ,その資本をもとに各地に転出して成功するものが多く,清末より新興の上海を拠点に活躍した浙江財閥の主力となった。しかし港湾都市としては,南京条約によって開港されたものの,内地との結合において上海等に比べて劣り,しだいに衰退した。今は近海漁業の基地となっている。近郊には天童寺,阿育王寺,保国寺等,古い伝統をもつ寺院があり,また市中には明の范欽の蔵書で名高い天一閣がある。
執筆者:秋山 元秀
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