日本大百科全書(ニッポニカ) 「太閤伝説」の意味・わかりやすい解説
太閤伝説
たいこうでんせつ
豊臣(とよとみ)秀吉にまつわる伝説。秀吉はその子孫を全うできなかったこともあって、その逸話には民俗事例で説明できそうな伝説が多い。『太閤素生(そせい)記』『甫庵(ほあん)太閤記』『真書太閤記』『絵本太閤記』などの伝記においても、後世になるほど伝説的な記事が多い。出自が不明なだけに、出生や幼少の放浪時代はとくに伝説的である。天皇落胤(らくいん)説や母の懐中に日輪が入って懐妊したという日輪受胎説もある。幼名が日吉丸とよばれ、その容貌(ようぼう)が猿に似ていたとか、申(さる)年生まれという話も、猿を神使とした日吉(ひえ)山王信仰と関係があるといわれる。藤の字のつく藤吉郎の名なども、炭焼長者譚(たん)や俵(田原)藤太伝説に共通しており、猿丸伝説を運んだ近江(おうみ)小野氏の信仰があずかっていたという。彼ら猿丸の徒の語りにおいては、秀吉もまた1人の猿丸にすぎなかったのである。そのほか、幼少時の放浪譚にみられる猿と河童(かっぱ)の関係などから駒(こま)引き伝説ともつながりがあるともいわれる。
[渡邊昭五]