太閤伝説(読み)たいこうでんせつ

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

太閤伝説
たいこうでんせつ

豊臣(とよとみ)秀吉にまつわる伝説。秀吉はその子孫を全うできなかったこともあって、その逸話には民俗事例で説明できそうな伝説が多い。『太閤素生(そせい)記』『甫庵(ほあん)太閤記』『真書太閤記』『絵本太閤記』などの伝記においても、後世になるほど伝説的な記事が多い。出自が不明なだけに、出生や幼少の放浪時代はとくに伝説的である。天皇落胤(らくいん)説や母の懐中に日輪が入って懐妊したという日輪受胎説もある。幼名が日吉丸とよばれ、その容貌(ようぼう)が猿に似ていたとか、申(さる)年生まれという話も、猿を神使とした日吉(ひえ)山王信仰と関係があるといわれる。藤の字のつく藤吉郎の名なども、炭焼長者譚(たん)や俵(田原)藤太伝説に共通しており、猿丸伝説を運んだ近江(おうみ)小野氏の信仰があずかっていたという。彼ら猿丸の徒の語りにおいては、秀吉もまた1人の猿丸にすぎなかったのである。そのほか、幼少時の放浪譚にみられる猿と河童(かっぱ)の関係などから駒(こま)引き伝説ともつながりがあるともいわれる。[渡邊昭五]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の太閤伝説の言及

【豊臣秀吉】より

…98年醍醐で華やかな花見が催されたが,秀吉は心身の衰えが激しくなり,8月に幼少の秀頼の前途を案じながら,五大老五奉行に遺言を残して世を去った。
[太閤伝説の成立]
 秀吉の出生はなぞにつつまれており,自己宣伝的要素と重なって忠実を無視した物語が作られた。すなわち,秀吉の母(大政所,天瑞院)は萩中納言という貴族の娘で,尾張に配流されていたが,許されて上洛して宮中に仕え,再び尾張に帰ってすぐに秀吉を生んだと,天皇の落胤であることを暗示するものである。…

※「太閤伝説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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