田原(読み)タハラ

デジタル大辞泉 「田原」の意味・読み・例文・類語

たはら【田原】

愛知県南東部、渥美あつみ半島を占める市。渡辺崋山ゆかりの史跡や縄文期の人骨出土で知られる吉胡よしご貝塚がある。平成15年(2003)田原町赤羽根町が合併して成立。同17年に渥美町を編入。人口6.4万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「田原」の意味・読み・例文・類語

たはら【田原】

  1. 愛知県南部、渥美半島の地名。江戸時代、三宅氏一万二千石の城下町、三河湾の港町として発達。昭和四三年(一九六八)の豊川用水の開通から園芸農業が盛んに行なわれる。渡辺崋山自刃の地として知られ、また、縄文後期の吉胡(よしご)貝塚がある。平成一五年(二〇〇三)市制。

たわらたはら【田原】

  1. 京都府綴喜(つづき)郡の旧村名。昭和三一年(一九五六)宇治田原村と合体して宇治田原町の一部となる。
    1. [初出の実例]「綴喜郡〈略〉田原〈多八良〉」(出典:二十巻本和名抄(934頃)六)

たわらたはら【田原・俵】

  1. 姓氏の一つ。

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改訂新版 世界大百科事典 「田原」の意味・わかりやすい解説

田原[市] (たはら)

愛知県南部,渥美(あつみ)半島にある市。2003年8月田原町が赤羽根(あかばね)町を編入し市制。さらに05年10月渥美町を編入して成立した。人口6万4119(2010)。

田原市南部の旧町。旧渥美郡所属。人口6151(2000)。渥美半島中南部に位置し,南は遠州灘に面する。西の旧渥美町との境に半島最高峰の大山(328m)があり,海岸部には低地が広がる。農業が町の主要産業で,全戸数の6割(1995)が農家,うち半数余を専業農家が占める。温暖な気候と豊川用水の通水により,温室やビニルハウスでの施設園芸が特に盛んで,電照菊を中心にメロン,トマトなどを産する。キャベツ,ダイコンなどの野菜の露地栽培や肉牛,乳牛,豚の飼養や養鶏も行われる。1973年赤羽根漁港が整備され,漁業も盛んである。片浜十三里といわれる断崖絶壁の海岸線が続く一色の磯は,美しい景観と磯釣りで知られる。

田原市西部の旧町。旧渥美郡所属。人口2万2402(2000)。渥美半島先端部を占め,南は遠州灘,西は伊勢湾,北は三河湾に面する。古くから海上交通の要衝として栄え,中心地福江は商工業が盛んである。東部一帯の山地を除き,平たん地が多く,畑作を主体とする農業地帯をなす。1968年豊川用水の通水後はキャベツ,ダイコン,スイカなどの野菜栽培が盛んとなり,ダイコンはたくあん漬に加工されて出荷される。太平洋岸を中心に施設園芸も盛んで,電照菊をはじめ,メロン,トマトなどが生産される。三河湾に面する福江湾を中心にノリ,アサリなどの浅海養殖沿岸漁業が行われる。伊良湖岬周辺は三河湾国定公園,渥美半島県立自然公園指定の景勝地として知られる。伊川津貝塚東大寺瓦窯跡,宮山原始林(天)などがある。

田原市東部の旧町。旧渥美郡所属。人口3万6981(2000)。渥美半島中央部に位置し,南は遠州灘,北は三河湾に面する。江戸時代は田原藩1万2000石の城下町,港町として発展した。背後の蔵王山の石灰石を原料としたセメント工業が盛んであるが,1960年代に三河湾岸に臨海工業用地の造成が進み,自動車工場などが進出している。周辺部では豊川用水を利用してスイカ,メロン,花卉などの施設園芸が盛んで,畜産も行われる。縄文後期の吉胡(よしご)貝塚,古代の百々(どうどう)陶器窯跡,大アラコ古窯跡があり,いずれも国の史跡に指定されている。また渡辺崋山の出身地で,崋山神社,崋山文庫などがある。豊橋鉄道渥美線,国道259号線が通じる。
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田原 (たわら)

京都府綴喜郡内の地名。広くは宇治田原町全体を指すが,狭義では同町の北部奥山田と西端の高尾(こうの)を除いた地帯を指す。四方を山に囲まれ,南側一帯に旧石器の出土層がつらなり,奥山田では黒曜石が採収される。〈和銅開珎〉も出土し,字郷之口(ごうのくち)に古墳がある。また字南(みなみ)に奈良時代の窯跡もある。字荒木(あらき)に山滝(さんりゆう)寺跡があり,奈良前期の瓦が散在している。764年(天平宝字8)の恵美押勝の乱のとき,追討軍が〈田原道〉を通ったことが,文献史料の初見である。991年(正暦2)東大寺の別当だった平崇が禅定寺を建立し,当時の古文書と仏像を現在まで伝えている。また平治の乱で,信西入道が大道寺を通って信楽へ逃れようとしてはたせなかったことは有名である。鎌倉時代に地頭が設置された。承久の乱には北条軍がここを通過して,宇治川に進軍している。鎌倉後期から室町前期にわたって,禅定寺の杣人と曾束庄(そつかのしよう)との間で堺相論が続けられている。1414年(応永21),将軍足利義持が田原の一部を石清水八幡宮に寄進したこともあった。織田信長の代官山口甚介が郷之口に小規模の城を築き,一時支配したが,1623年(元和9)後水尾天皇の中宮和子の禁裏御料となった。また1738年(元文3)永谷宗円(宗七郎)が,煎茶の製造方法を発明したことが特記される。現在も茶生産が,この地の一番の特産品である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田原」の意味・わかりやすい解説

田原(市)
たはら

愛知県南部にある市。渥美(あつみ)半島の大半を占める。1892年(明治25)田原村が町制施行(田原町(ちょう))。1906年(明治39)童浦、相川、大久保の3村、1955年(昭和30)神戸(かんべ)、野田の2村と合併、杉山村六連(むつれ)地区を編入。2003年(平成15)赤羽根町(あかばねちょう)を編入、市制施行し、田原市となる。2005年渥美町を編入。豊橋鉄道(とよはしてつどう)渥美線と国道42号、259号が通じる。田原町は江戸時代、田原藩1万2000石の城下町で、幕末の家老渡辺崋山(かざん)で知られ、ゆかりの史跡が多い。田原城は巴江(はこう)城ともいわれ、現在城跡西方に崋山神社が祀(まつ)られている。城跡の田原市博物館所蔵の『紙本著色一掃(いっそう)百態図』など崋山関係資料は国の重要文化財に指定されている。背後の蔵王(ざおう)山は秩父中・古生層の山塊で、三河湾の展望に優れ、山頂には展望台と風力発電用の風車がある。縄文時代後期から晩期にかけての遺跡である吉胡貝塚(よしごかいづか)(国指定史跡)は人骨300体以上が出土しており考古学上有名である。ほかに国指定史跡として、百々陶器(どうどうとうき)窯跡と大アラコ古窯跡がある。農業は野菜、花卉(かき)、畜産などで、電照ギクの栽培が盛ん。臨海部にはトヨタ自動車の田原工場などが進出している。面積191.12平方キロメートル、人口5万9360(2020)。

[伊藤郷平]

『『田原町史』全3巻(1971~1978・田原町)』


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百科事典マイペディア 「田原」の意味・わかりやすい解説

田原[町]【たはら】

愛知県渥美郡,渥美半島中部の旧町。中心の田原は三宅氏の城下町,港町として発達,豊橋鉄道の終点。豊川用水による野菜栽培,施設園芸,畜産が盛んで,三河湾岸の工業用地の造成により,自動車工場が進出している。吉胡(よしご)貝塚(史跡),渡辺崋山にちなむ崋山文庫がある。2003年8月渥美郡赤羽根町と合併し,田原市となる。82.85km2。3万6744人(2003)。

田原[市]【たはら】

愛知県南部,渥美半島中央部にある市。2003年8月渥美郡田原町,赤羽根町と合併,市制。南は遠州灘,北は渥美湾に面する。国道42号線,259号線が通じ豊橋鉄道渥美線が三河田原駅まで通じる。2005年10月渥美郡渥美町を編入。191.12km2。6万4119人(2010)。

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現代外国人名録2016 「田原」の解説

田 原
デン・ゲン
Tian Yuan

職業・肩書
作家,歌手,女優

国籍
中国

経歴
幼い頃からピアノ、ギターを習い、両親からモーパッサン、バルザックなど様々な本を与えられて育つ。“80后(パーリンホウ)”と呼ばれる1980年代生まれの一人っ子世代で、海賊版の洋楽CDで覚えた英語で詩を書いて作曲し、ネイティブと変わらぬ発音で歌い、17歳でバンドのボーカリストとして音楽デビュー。2007年小説「水の彼方 Double Mono」(原題「双生水莽」)を発表。“中国13億人のミューズ(芸術の女神)”と呼ばれる。2009年来日。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田原」の解説

田原 ティアン-ユアン

1965- 平成時代の詩人,日本文学者。
1965年11月10日中国河南省生まれ。1991年(平成3)来日留学。13年留学生文学賞。15年「谷川俊太郎論」で文学博士号を取得。東北大で中国語の講師をつとめる。22年日本語詩集「石の記憶」でH氏賞。著作はほかに中国版「谷川俊太郎詩選」,「異邦人―辻井喬詩歌選」,詩集「そうして岸が誕生した」など。

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普及版 字通 「田原」の読み・字形・画数・意味

【田原】でんげん

田野。

字通「田」の項目を見る

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