デジタル大辞泉 「太陽の党」の意味・読み・例文・類語 たいよう‐の‐とう〔タイヤウ‐タウ〕【太陽の党】 たちあがれ日本が改称した保守政党。平成24年(2012)11月、東京都知事を辞任した石原慎太郎の合流を機に改称。4日後に日本維新の会に合流して解党した。平成26年(2014)、元メンバーを中心に日本維新の会を離れ「次世代の党」を結成。が日本維新の会に合流した後、法的に残っていた政党要件を利用し、平成26年(2014)9月に元所属議員らが復活させた保守政党。同年11月に「次世代の党」と合流。翌年1月「次世代」離党の1人が再復活させたが5月にまた合流し、解党した。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
知恵蔵mini 「太陽の党」の解説 太陽の党 2012年11月13日に結成された日本の政治政党。10年4月に結党された「たちあがれ日本」が党名変更したもので、10年4月17日に日本維新の会に合流し、一時解党したが、政治資金規正法に基づく政党としてはその後も存続した。14年9月25日、西村真悟衆議院議員(無所属)が、元航空幕僚長で14年2月の東京都知事選挙に立候補した田母神俊雄氏と共に国会内で記者会見を行い、「太陽の党」を継承する形で政治活動を行っていくことを発表。西村氏が党の代表に、田母神氏が代表幹事に就任。復活した太陽の党は(1)憲法廃棄と自主憲法制定、(2)国軍の創設、拉致被害者の救出、(3)真の歴史観主張と日本の名誉回復、(4)家族の復活、移民受け入れ反対、外国人参政権反対、(5)原発再稼働、消費税10%凍結、相続税廃止、を主要政策として掲げている。 (2014-9-29) 太陽の党 政党たちあがれ日本の衆参国会議員5人と石原慎太郎前東京都知事によって2012年11月13日に結成された新党。新党名の由来は石原の芥川賞受賞作「太陽の季節」との説が有力。結成に合わせ、新党の母体であるたちあがれ日本の名称が太陽の党に改められた。石原とたちあがれ日本代表の平沼赳夫が新党の共同代表に就任し、自主憲法制定や防衛力倍増など11項目の綱領を掲げている。同年12月に行われる衆院選に向けて日本維新の会(代表・橋下徹大阪市長)やみんなの党(代表・渡辺喜美)など第三極政党の結集を目指すとしており、新党結成の翌14日には減税日本(代表・河村たかし名古屋市長)が合流に合意している。 (2012-11-15) 出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報