奈佐木
なさき
現大字奈佐木を遺称地とし、奈佐木城および同城を含む地域一帯をさす。須木城のある須木盆地に比べて狭小な谷間である。「日向記」によれば、永禄(一五五八―七〇)頃には野尻(現野尻町)・三ッ山(現小林市)・須木とともに真幸口を押える要地とされ、伊東氏はこの四ヵ所に囲いを築き、堅く番をさせたという。同書「分国中城主揃事」には「那佐木城主」として肥田木三郎兵衛尉の名がみえ、永禄一一年段階には伊東四十八城の一であった。元亀四年(一五七三)三月、須木城主米良美濃は知行地を没収された恨みから肥田木三郎兵衛・中山主計とともに伊東氏から離反して飯野城(現えびの市)の島津忠平に降った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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