日本歴史地名大系 「奈垣村」の解説 奈垣村ながきむら 三重県:名張市奈垣村[現在地名]名張市奈垣・つつじが丘北(おかきた)一―六番町・つつじが丘南(おかみなみ)一―八番町花瀬(はなせ)川の上流に位置し、上比奈知(かみひなち)村は山を隔てて北にある。承平四年(九三四)一二月一九日の伊賀国夏見郷刀禰解案(光明寺古文書)に比奈知などとともに「長木」とあり、伊勢大神宮所領地山河四至内であった。神宮領六箇(むこ)山としての時代が長い間続いたが、天正九年(一五八一)織田信長の伊賀攻略により神宮との関係が断ち切られた。しかし六箇山地域の六ヵ村の紐帯は保たれ、慶長一八年(一六一三)にも六箇山年預の制を定め祭事を行っていた(同年三月六日「六箇山年預衆定」三国地志)。江戸時代は元禄一二年(一六九九)内検を改め本高五四二・四四四石、平高七六九・五五石。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by