名張市(読み)ナバリシ

デジタル大辞泉 「名張市」の意味・読み・例文・類語

なばり‐し【名張市】

名張

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日本歴史地名大系 「名張市」の解説

名張市
なばりし

面積:一三〇・二八平方キロ

南北に細長い三重県の中央部西側にあり、四周を山に囲まれ、名張川沿いに盆地が形成される。北は上野市、東は名賀郡青山あおやま町に接し、西は北から奈良県山辺やまべ山添やまぞえ村・同県宇陀うだ室生むろう村、南は同郡曾爾そに村・一志郡美杉みすぎ村に接する。名張川支流のたき川上流に赤目四十八あかめしじゆうはち滝、同じく支流の青蓮寺しようれんじ川上流に香落こおち渓の名勝があり、室生赤目青山国定公園の一部をなす。「続日本紀」天平一二年(七四〇)一〇月三〇日条に「車駕到伊賀国名張郡」とある。「万葉集」には「隠乃山」「隠野」があり、「日本書紀」孝徳天皇大化二年正月朔日に「名墾」、同書天武天皇元年六月二四日条に「隠郡」があり、隠・名墾はいずれも「なばり」と読まれている。

〔原始〕

旧石器時代の遺跡は確認されていないが、旧石器時代末期から縄文時代早期に使用された有舌尖頭器が東部丘陵上の白早稲しらわせ遺跡で三点出土している。縄文時代の遺跡は、盆地を貫流する河川によって形成された沖積地を中心に分布する。宇陀川右岸の赤目檀あかめだん遺跡や滝川左岸の辻垣内つじがいと遺跡では、前期から後期に至る土器が出土し、名張川河岸の家野いえの薦生こもお夏見の中川原なつみのなかがわらからは後期の土器が出土している。宇陀川左岸の辻堂つじどう遺跡、東部丘陵上の奥出おくで遺跡からは晩期の土器が出土している。

弥生時代は前期・中期の遺跡が希薄で、前期の土器は辻堂遺跡で縄文晩期に伴出するほか、東部丘陵上の土山どやま遺跡・人参峠にんじんとうげ遺跡などで少量出土しているにすぎない。中期の土器は低位の沖積地に位置する辻垣内遺跡、丈六の梅之木じようろくのうめのき、名張川河岸の夏見の下川原しもがわらなどで出土し、辻垣内遺跡では直径七メートルの円形の竪穴住居跡や墓壙が検出されている。後期になると遺跡の数や規模が増加し、古墳時代まで継続しているものが多い。北東の丘陵上に位置する蔵持黒田くらもちくろだ遺跡では、出土例の少ない手焙形土器が三〇個体も出土しているし、宇陀川左岸の黒田では段丘上のたまり遺跡を中心に西に接するどうたに遺跡や丘陵稜線上のなかたに遺跡など広範囲に土器が出土する。また「覚禅鈔」に「禅那院珍海云、往年伊賀国黒田杣□宝鐸一口随水流出、長三尺許、内無舌、上有光勢、膚有細脈紋、凡不似古今所作蔵東大寺南経蔵了、珍海見之云々、杣夢見大涯崩流出也」との記事があり、平安末期頃銅鐸が出土している。

古墳時代になるとさらに遺跡が増加するが、中ノ谷遺跡や土山遺跡白早稲遺跡・人参峠遺跡など丘陵稜線上に位置する集落遺跡は中期後葉以後消滅していく。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「名張市」の意味・わかりやすい解説

名張〔市〕
なばり

三重県西部,上野盆地南西部の市。 1889年町制施行の名張町と,滝川,箕曲,国津の3村が 1954年合体,市制。市名は古代以来の地名。中心市街地の名張は古くから開発され,『古事記』『万葉集』に地名が残るほか古墳も多い。古代は東海道,近世は初瀬街道 (伊勢大和往還,現国道 165号線) の宿駅として栄えた。明治期に入り国鉄関西線の路線からはずれたため一時寂れたが,30年,参宮急行電鉄 (現近畿日本鉄道大阪線) が開通,60年代から桔梗ヶ丘ニュータウン,工業団地 (縫製,電機,農機,鉄工) ,ゴルフ場などが建設され,大阪,奈良の衛星都市としての性格が強まった。周辺の農村部では米作,ブドウ栽培などが行われる。北東部の美旗古墳群,夏見廃寺跡は史跡に指定されている。名張川の上流には景勝地が多く赤目の峡谷は名勝。赤目町に伊賀流忍者の開祖である百地三太夫の忍者屋敷が残る。南部は室生赤目青山国定公園に属する。面積 129.77km2。人口 7万6387(2020)。

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