奈良坂町・奈良坂村(読み)ならさかちよう・ならさかむら

日本歴史地名大系 「奈良坂町・奈良坂村」の解説

奈良坂町・奈良坂村
ならさかちよう・ならさかむら

[現在地名]奈良市奈良阪ならさか

奈良坂村は般若寺村の北、山城国境に位置し、京街道沿いに奈良坂町が形成された。この京街道は北山きたやま越・奈良坂越とも称し、西の歌姫うたひめ越に対する東の京街道であった。

奈良坂村は慶長郷帳の村高四九四・九六石で御番衆領、元和元年(一六一五)郡山藩(水野勝成)領となる。寛永一六年(一六三九)添下郡外川とがわ村・同郡じよう村の一部との替地で幕府領となり、寛文四年(一六六四)奈良代官所(代官五味藤九郎)が創設され、その直支配を受けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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