奈良間村
ならまむら
[現在地名]静岡市奈良間・小布杉
藁科川中流の右岸沿いにあり、南は富厚里村。領主は安西外新田と同じ。寛文一〇年(一六七〇)に駿府城代松平左近太夫により検地が行われ、高五八石余、反別は五町七反余(文政五年「村指出帳控」小林家文書)。元禄郷帳では高五九石余。小物成として元禄一〇年(一六九七)から山銭鐚一〇〇文・駒銭鐚一五〇文・簗代鐚一〇二文があった(前掲村指出帳控など)。延宝八年(一六八〇)から元禄八年までは富沢村鮎簗掛けに人足を出していた(新版「静岡市史」)。安倍川川越人足は巡検使通行と臨時の時のみ課せられ、大風・出水などの時には御普請所人足の負担があった(前掲村指出帳控)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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