奥ヶ野村(読み)おくがのむら

日本歴史地名大系 「奥ヶ野村」の解説

奥ヶ野村
おくがのむら

[現在地名]津和野町中山なかやま

三歩市さんぶいち村の西、津和野川支流奥ヶ野川源流域の奥ヶ野盆地に立地。津和野城下から飯浦いいのうら(現益田市)への道が三歩市村で分岐し、奥ヶ野峠越で長門萩に至る。宝永石見国郷村帳では高三二八石余。明治四年(一八七一)の万手鑑によれば古高一七四石余、寛永一四年(一六三七)の検地高二九四石余、明治四年の総高三二八石余・反別四七町七反余、家数三九(うち本百姓二三)・人数一七〇(うち本百姓一〇八)、米蔵一、紙漉舟二三、鉄砲二。延宝四年(一六七六)に当村庄屋に任じられ着任した岸田善十郎は、翌年野峠のどう(野道堤・岸田池)改修を計画、藩も普請奉行が出張、足軽・郡夫以下三〇〇人を繰出し大修築した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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