日本歴史地名大系 「奥三保」の解説 奥三保おくさんぽう 神奈川県:津久井郡奥三保鎌倉末期の元亨三年(一三二三)の北条貞時十三年忌供養記(県史二)に「奥三保屋形山給主合田左衛門三郎入道」と記されていて、当時この保内の山が北条氏得宗家の所領であり、管理者が合田氏であったことがわかる。北条氏滅亡後、足利尊氏が鎌倉極楽(ごくらく)寺の舎利会料所として保内の若柳(わかやなぎ)・日連(ひづれ)・牧野(まぎの)を寄進している(年未詳四月二一日「将軍足利義詮書状」県史三)。現在の相模湖町若柳、藤野町日連・牧野の地である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by