津久井郡(読み)つくいぐん

日本歴史地名大系 「津久井郡」の解説

津久井郡
つくいぐん

面積:二三七・七三平方キロ
藤野ふじの町・相模湖さがみこ町・津久井つくい町・城山しろやま

県の西北端に位置し、東は相模原市、西は山梨県、南は愛甲あいこう愛川あいかわ町・清川きよかわ村と足柄上あしがらかみ山北やまきた町、北は東京都に接し、西・南・北ともに標高一六七二・七メートルのひるヶ岳を最高として山境である。相模川が郡内を貫流し、ほかに津久井五川とよぶ道志どうし川・沢井さわい川・あき(秋山川)くし川・早戸はやと川があり、早戸川を除き、四河川はいずれも流末は郡内で相模川に合流し、集落の多くはこれらの川沿いの河岸段丘上に形成されている。

〔原始〕

縄文時代の土器片や遺跡は、郡内各所より発見される。縄文前期は少なく、中期が最も多く、後期より晩期にかけて減少している。国指定史跡の城山町川尻かわしり遺跡は中期から後期、同じく相模湖町の寸沢嵐すあらし遺跡も中期から後期の敷石(河原石)住居跡で中心部に炉跡がある。弥生時代の土器片の出土は少ないが、津久井町遺跡から初期で南関東では最も古い土器として完形および破片が出土、三ヶ木式土器として県指定文化財となっている。郡の東部で相模原市に接する城山町の川尻八幡神社境内に、古墳末期といわれる石室墳がある。また近くの字春林しゆんりんで、ローム層の中に横穴古墳群が大小四基発見され、この付近一帯に未発見の横穴墳の存在が推測されている。

〔古代〕

和名抄」には相模国の郡名に津久井郡はない。「風土記稿」には「伝説に相模川の西南にある十八村は愛甲郡に属し、東北にある十一村は高座郡に属せりと云」とある。当時の高座たかくら郡一四郷名中に当地域に該当するものはなく、愛甲郡六郷中の余戸あまるべ郷に含まれていたと考えられる。「延喜式」神名帳の高座郡六座中の一座石楯尾いわたてお神社が津久井に関係ある神社といわれるが、相模川を挟み佐野川さのがわ村・名倉なぐら(現藤野町)とにあり、いずれとも判然としない。

〔中世〕

津久井(筑井・築井)という呼名は三浦義明の弟義行が津久井村(現横須賀市)に住み、津久井氏を名乗り、鎌倉時代の初期その支族津久井太郎次郎義胤が北相模のたからヶ峰(現津久井町)に築城し、所領の地を津久井領とよんだことに始まるといわれているが、事績など不明である(風土記稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報