日本歴史地名大系 「奥大野村」の解説 奥大野村おくおおのむら 京都府:中郡大宮町奥大野村[現在地名]大宮町字奥大野下常吉(しもつねよし)村の北東にあって網野街道沿いの西側、鞍禿(くらはげ)山麓に位置する。集落の東側は竹野川沿いで田圃が開ける。古代は大野郷(和名抄)、中世は丹後国田数帳に、<資料は省略されています>とみえる倉垣(くらがき)庄の地とされる。近世に入り、慶長検地郷村帳に高九〇二・一一石「奥大野村」とあり、延宝九年(一六八一)の延高で一千七〇石余となった(天和元年宮津領村高帳)。宮津藩領であったが、寛文六年(一六六六)幕府領、同九年宮津藩領、延宝八年幕府領、翌九年宮津藩領、享保二年(一七一七)幕府領と変遷。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by