奥大野村(読み)おくおおのむら

日本歴史地名大系 「奥大野村」の解説

奥大野村
おくおおのむら

[現在地名]大宮町字奥大野

下常吉しもつねよし村の北東にあって網野街道沿いの西側、鞍禿くらはげ山麓に位置する。集落の東側は竹野川沿いで田圃が開ける。

古代は大野郷(和名抄)、中世は丹後国田数帳に、

<資料は省略されています>

とみえる倉垣くらがき庄の地とされる。近世に入り、慶長検地郷村帳に高九〇二・一一石「奥大野村」とあり、延宝九年(一六八一)の延高で一千七〇石余となった(天和元年宮津領村高帳)。宮津藩領であったが、寛文六年(一六六六)幕府領、同九年宮津藩領、延宝八年幕府領、翌九年宮津藩領、享保二年(一七一七)幕府領と変遷。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む