奥愛次郎(読み)おく・あいじろう

朝日日本歴史人物事典 「奥愛次郎」の解説

奥愛次郎

没年:明治36.5.8(1903)
生年:慶応1.2.7(1865.3.4)
広島藩領の現広島県双三郡吉舎町商家に生まれた。母は故あって幼少のときに家を出た。白石照山の塾などを経て,明治18(1885)年慶応義塾入学。病気のためほどなく退学。27年,吉舎町に私立中学校日彰館を創立し,慶応義塾での後輩宮沢 順定 らの協力を得てその発展に尽力した。多数の著名人を説得して彼らの揮毫を求めて換金する方法で学校基金を創った。初対面の人を説いて自分の理想に賛同させる「篤志熱誠の人」(島田三郎弔辞)であった。業半ばで没す。<参考文献>日彰館創立六十年記念会『日彰館創立者奥愛次郎先生事績』

(坂井達朗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥愛次郎」の解説

奥愛次郎 おく-あいじろう

1865-1903 明治時代教育者
元治(げんじ)2年2月7日生まれ。郷塾日彰館にまなび,慶応義塾にはいるが病により郷里広島県にかえる。私学設立をこころざし,品川弥二郎,雲照,下村観山らの賛同をえて明治27年日彰館中学を創立。34年女学部を付設した。明治36年5月8日死去。39歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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