日本歴史地名大系 「奥海印寺村」の解説 奥海印寺村おくかいじむら 京都府:長岡京市奥海印寺村[現在地名]長岡京市奥海印寺(おくかいいんじ)・河陽(かよう)が丘(おか)・天神(てんじん)・高台(たかだい)・こがねが丘南は下海印寺(しもかいじ)村・金(かね)ヶ原(はら)村、西は摂津国島上(しまかみ)郡大沢(おおさわ)村(現大阪府三島郡島本町)。国境の山はかなり険しく、徒歩の登山道以外の通路はない。村の西方の山を木上(このかみ)山、一名奥海印寺山という。村名の由来となった海印(かいいん)寺は九世紀半ば僧道雄が東大寺末寺として創建、一〇院が設けられ、年分度者を置いて、正税公廨のうちから三千石を支給される大寺であった(延喜式)。寺はしだいに退転し、寂照(じやくしよう)院を残すのみとなった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報