奥田敏子(読み)オクダ トシコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「奥田敏子」の解説

奥田 敏子
オクダ トシコ


職業
舞踊家

専門
現代舞踊

生年月日
大正9年 10月17日

出生地
愛知県 名古屋市中区古沢町

学歴
名古屋高女〔昭和12年〕卒

経歴
昭和12年江口隆哉入門し、東京で10年間モダンダンスを学ぶ。21年名古屋に研究所を開設、30年奥田敏子舞踊団を創立した。毎年意欲的な作品を発表し、46年の「マンダラ」以後、人間の内面を追求する作品「神々」「白い家」「旅・心の中へ」などで好評を博す。54年アメリカのリンカーンセンターに「白い家」が日本人の現代舞踊作品として初めて永久保存された。また現代舞踊協会中部支部長、名古屋舞踊協会副会長、全舞連理事、名古屋市民会館運営理事をつとめた。教え子は数千人に及び、関山三喜夫、三田美代子、田中孝児など活躍しているダンサーも多い。

受賞
名古屋演劇ペンクラブ賞〔昭和42年〕,名古屋市芸術奨励賞〔昭和54年〕

没年月日
昭和54年 9月11日 (1979年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「奥田敏子」の解説

奥田 敏子
オクダ トシコ

昭和期の舞踊家



生年
大正9(1920)年10月17日

没年
昭和54(1979)年9月11日

出生地
愛知県名古屋市中区古沢町

学歴〔年〕
名古屋高女〔昭和12年〕卒

主な受賞名〔年〕
名古屋演劇ペンクラブ賞〔昭和42年〕,名古屋市芸術奨励賞〔昭和54年〕

経歴
昭和12年江口隆哉に入門し、東京で10年間モダンダンスを学ぶ。21年名古屋に研究所を開設、30年奥田敏子舞踊団を創立した。毎年意欲的な作品を発表し、46年の「マンダラ」以後、人間の内面を追求する作品「神々」「白い家」「旅・心の中へ」などで好評を博す。54年アメリカのリンカーンセンターに「白い家」が日本人の現代舞踊作品として初めて永久保存された。また現代舞踊協会中部支部長、名古屋舞踊協会副会長、全舞連理事、名古屋市民会館運営理事を務めた。教え子は数千人に及び、関山三喜夫、三田美代子、田中孝児など活躍しているダンサーも多い。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥田敏子」の解説

奥田敏子 おくだ-としこ

1920-1979 昭和時代の舞踊家。
大正9年10月17日生まれ。昭和12年モダンダンスの江口隆哉に入門。20年名古屋に奥田敏子研究所をひらき,30年舞踊団を結成。おもに日本の現代作曲家の曲を舞踊化して発表。昭和54年9月11日死去。58歳。愛知県出身。名古屋高女卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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