江口隆哉(読み)エグチ タカヤ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「江口隆哉」の解説

江口 隆哉
エグチ タカヤ


職業
舞踊家

専門
モダンダンス

本名
江口 捨松

生年月日
明治33年 1月21日

出生地
青森県 上北郡野辺地町

学歴
函館商〔大正8年〕卒

経歴
小学校教員を務めた後、謡曲狂言、素人芝居に熱中する。演劇の道を志し25歳で上京。昭和4年高田雅夫・原せい子舞踊研究所に入り舞踊家の道に進む。6年から8年まで夫人の宮操子と共にドイツのマリー・ウィグマン舞踊学校に学び、帰国後、江口・宮舞踊団を結成してドイツ系モダンダンスを創作した。代表作大作「プロメテの火」、「日本太鼓」シリーズ、「日本二十六聖人」がある。また日本女子体育短大で教鞭をとり、体育舞踊、学校舞踊を広め、舞踊評論誌「現代舞踊」を19年間にわたって刊行した。

受賞
紫綬褒章〔昭和41年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和46年〕 佐藤尚武郷土大賞〔昭和51年〕,野辺地町名誉町民

没年月日
昭和52年 12月25日 (1977年)

家族
妻=宮 操子(舞踊家),弟=江口 乙夫(舞踊家)

伝記
モダンダンス江口隆哉と芸術年代史 西宮 安一郎 編(発行元 東京新聞出版局 ’89発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「江口隆哉」の解説

江口 隆哉
エグチ タカヤ

昭和期の舞踊家



生年
明治33(1900)年1月21日

没年
昭和52(1977)年12月25日

出生地
青森県野辺地町

本名
江口 捨松

学歴〔年〕
函館商〔大正8年〕卒

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和41年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和46年〕,佐藤尚武郷土大賞〔昭和51年〕,野辺地町名誉町民

経歴
小学校教員を務めた後、謡曲や狂言、素人芝居に熱中する。演劇の道を志し25歳で上京。昭和4年高田雅夫・原せい子舞踊研究所に入り舞踊家の道に進む。6年から8年まで夫人の宮操子と共にドイツのマリー・ウィグマン舞踊学校に学び、帰国後、江口・宮舞踊団を結成してドイツ系モダンダンスを創作した。代表作に大作「プロメテの火」、「日本の太鼓」シリーズ、「日本二十六聖人」がある。また日本女子体育短大で教鞭をとり、体育舞踊、学校舞踊を広め、舞踊評論誌「現代舞踊」を19年間にわたって刊行した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「江口隆哉」の意味・わかりやすい解説

江口隆哉
えぐちたかや
(1900―1977)

舞踊家。本名江口捨松。青森県生まれ。高田雅夫(1895―1929)・せい子夫妻に師事。1931年(昭和6)夫人の宮操子(みさこ)(1907―2009)とともにドイツのウィグマン舞踊学校に入学。1933年に卒業、ベルリンのバッハザールで『手術室』ほか5曲を発表して同年帰国した。江口・宮舞踊団を主宰し、ウィグマンのモデルヌ・タンツを最初に日本に紹介、日本のモダン・ダンス、教育舞踊に新風を吹き込んだ。第二次世界大戦前に『都会』『創造』、戦後に『プロメテの火』『日本の太鼓』の代表作がある。月刊誌『現代舞踊』を創刊。著書に『舞踊創作法』がある。

[市川 雅]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「江口隆哉」の意味・わかりやすい解説

江口隆哉【えぐちたかや】

舞踊家。帝国劇場歌劇部出身の高田せい子・雅夫に師事。宮操子とともにウィグマンにも学ぶ。モダン・ダンスを日本に定着させるために大きく尽くし,多数の門下を育てた。《都会》《創造》《プロメテの火》《日本の太鼓》が代表作。
→関連項目大野一雄土方巽

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「江口隆哉」の意味・わかりやすい解説

江口隆哉
えぐちたかや

[生]1900.1.21. 青森
[没]1977.12.25. 東京
舞踊家。小山内薫の小劇場運動を経て,高田雅夫・せい子に師事したのち 1931年ドイツに渡り,ベルリンの M.ウィグマンらに師事,ノイエ・タンツを学ぶ。帰国後,妻宮操子とともに研究所を創設し,『都会』『創造』などの大作を発表,ドイツ系のモダン・ダンスを日本に定着させた。第2次世界大戦後,『プロメテの火』 (1950) ,『日本の太鼓』 (51) などを発表。著作に『舞踊創作法』があり,雑誌『現代舞踊』を発行。 70年紫綬褒章受章。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「江口隆哉」の解説

江口隆哉 えぐち-たかや

1900-1977 昭和時代の舞踊家。
明治33年1月21日生まれ。高田雅夫・せい子夫妻に師事。妻の宮操子とともにドイツのウィグマン舞踊学校でまなぶ。帰国後,江口・宮舞踊団を結成,昭和28年月刊誌「現代舞踊」を創刊するなど,モダンダンスの普及に尽力した。日本女子体育大教授。昭和52年12月25日死去。77歳。青森県出身。函館商業卒。本名は捨松。代表作に「プロメテの火」「日本の太鼓」。

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367日誕生日大事典 「江口隆哉」の解説

江口 隆哉 (えぐち たかや)

生年月日:1900年1月21日
昭和時代の舞踊家
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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