朝日日本歴史人物事典 「奥田頼杖」の解説
奥田頼杖
生年:生年不詳
幕末の心学者。名は在中,通称寿太。脚が悪く杖を用いたので,頼杖と号した。広島藩士奥田善介の子として備後国三次郡日下村(広島県三次市)で生まれる。京都で上河淇水に心学を学び,文化11(1814)年ごろ広島に設立された歓心舎の第1世舎主となる。頼杖は朱子学を根拠とする淇水の心学説を継承し,心学を倫理運動ととらえ,道話による民衆教化に努めた。広島だけでなく,京都,大坂,江戸にも招かれ,道話を行い,多くの民衆を感化したが,特に文政8(1825)年以降しばしば萩藩(山口県)領内を巡講し,領民教化に大きな足跡を残した。<著作>『心学道の話』<参考文献>石川謙『石門心学史の研究』
(米山光儀)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報