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奥田頼杖 おくだ らいじょう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

奥田頼杖 おくだ-らいじょう

?-1849 江戸時代後期の心学者。
江戸で盍簪(こうしん)舎の大島有隣(うりん)についてまなぶ。文化11年ごろ広島の歓心舎にまねかれ舎主となった。広島藩と萩(はぎ)藩領内を巡講。萩に日章舎をたてた。心学道話にたくみで京都や江戸にも出講した。嘉永(かえい)2年8月5日死去。備後(びんご)(広島県)出身。名は在中。通称は寿太,寿太郎。著作に「心学道の話」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

奥田頼杖

没年:嘉永2.8.5(1849.9.21)
生年:生年不詳
幕末の心学者。名は在中,通称寿太。脚が悪く杖を用いたので,頼杖と号した。広島藩士奥田善介の子として備後国三次郡日下村(広島県三次市)で生まれる。京都で上河淇水に心学を学び,文化11(1814)年ごろ広島に設立された歓心舎の第1世舎主となる。頼杖は朱子学を根拠とする淇水の心学説を継承し,心学を倫理運動ととらえ,道話による民衆教化に努めた。広島だけでなく,京都,大坂,江戸にも招かれ,道話を行い,多くの民衆を感化したが,特に文政8(1825)年以降しばしば萩藩(山口県)領内を巡講し,領民教化に大きな足跡を残した。<著作>『心学道の話』<参考文献>石川謙『石門心学史の研究』

(米山光儀)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の奥田頼杖の言及

【石門心学】より

…ここに心学といえば道話を意味するまでになり,心学道話という言葉が定着した。奥田頼杖(?‐1849)も巧みな話術で聴衆に訴え,その名声は鳩翁に劣らなかった。彼の道話の聞書き《心学道の話》は参前舎での道話を平野橘翁が筆記したもので,《鳩翁道話》と並び称せられる。…

※「奥田頼杖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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