朝日日本歴史人物事典 「大島有隣」の解説
大島有隣
生年:宝暦5(1755)
江戸中・後期の心学者。下総国葛飾郡高野村(埼玉県杉戸町)の名主の子。名は義展,通称幸右衛門。24歳で中沢道二に入門し心学を学ぶ。天明5(1785)年同郷の有志関口保宣,藤城吉右衛門らと村内に講舎恭倹舎を創設し,文化3(1806)年江戸神田の参前舎を類焼後再興し,8年後四谷の盍簪舎を復興,その舎主となる。9年より7年間,津和野,広島など中国地方を講話してまわる。さらに文政2(1819)年以降18年間,松平定信が設置した江戸人足寄場の教諭方を勤める。<著作>『心学和合歌』『心学心得草』<参考文献>石川謙『石門心学の研究』,同『近世日本社会教育史の研究』
(渡辺弘)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報