大島有隣(読み)おおしま・うりん

朝日日本歴史人物事典 「大島有隣」の解説

大島有隣

没年天保7.10.22(1836.11.30)
生年宝暦5(1755)
江戸中・後期の心学者。下総国葛飾郡高野村(埼玉県杉戸町)の名主の子。名は義展,通称幸右衛門。24歳で中沢道二に入門し心学を学ぶ。天明5(1785)年同郷の有志関口保宣,藤城吉右衛門らと村内に講舎恭倹舎を創設し,文化3(1806)年江戸神田の参前舎を類焼後再興し,8年後四谷の盍簪舎を復興,その舎主となる。9年より7年間,津和野,広島など中国地方を講話してまわる。さらに文政2(1819)年以降18年間,松平定信が設置した江戸人足寄場の教諭方を勤める。<著作>『心学和合歌』『心学心得草』<参考文献>石川謙石門心学研究』,同『近世日本社会教育史の研究』

(渡辺弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大島有隣」の意味・わかりやすい解説

大島有隣
おおしまうりん

[生]宝暦5(1755).武蔵
[没]天保7(1836).10.22. 江戸
江戸時代後期の心学者。名は義展,通称幸右衛門。生家は代々名主。初め中沢道二に師事し心学を学ぶ。これを契機に天明5 (1785) 年同郷の友人とともに郷里北葛飾郡大島に恭倹舎を創設し,学問流布に努める。のち江戸に出て,参前舎および盍簪舎を再興してその舎主となる。文政2 (1819) 年江戸人足寄場教諭方となり,以来 18年間その教化に従事した。この間,諸国大名旗本など有隣に道を聞く者は多く,その教化は全国に及んだ。彼の心学に関する著作としては,『心学和合歌』『心学初入手引草』『心学心得草』がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大島有隣」の解説

大島有隣 おおしま-うりん

1755-1836 江戸時代中期-後期の心学者。
宝暦5年生まれ。中沢道二(どうに)に心学をまなぶ。天明5年に恭倹舎を設立。江戸神田の参前舎,四谷の盍簪舎(こうしんしゃ)を再建,復興させた。中国地方でおしえたあと,江戸人足寄場の教諭方をつとめた。天保(てんぽう)7年10月22日死去。82歳。武蔵(むさし)葛飾郡大島村(埼玉県)出身。名は義展。通称は幸右衛門。著作に「心学和合歌」「心学心得艸」など。

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367日誕生日大事典 「大島有隣」の解説

大島有隣 (おおしまうりん)

生年月日:1755年12月4日
江戸時代中期;後期の心学者
1836年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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