奥野谷村(読み)おくのやむら

日本歴史地名大系 「奥野谷村」の解説

奥野谷村
おくのやむら

[現在地名]神栖町奥野谷

鹿島灘沿岸にあり、西は溝口みぞぐち村、南は知手しつて村。村の東に砂丘が発達する。天正一九年(一五九一)東義久知行地となり、文禄四年(一五九五)の中務大輔当知行目録(秋田県立図書館蔵)に「五百八十五石五斗九升 おきのや・志つて・柳ほり」と記される。江戸初期に旗本領となり、寛永一〇年(一六三三)の鹿島郡中高改帳によれば、村高は三二三石余で、村上彦六が支配した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む