奥院講堂跡(読み)おくのいんこうどうあと

日本歴史地名大系 「奥院講堂跡」の解説

奥院講堂跡
おくのいんこうどうあと

[現在地名]戸隠村戸隠 奥社

奥社の随神門ずいじんもん(旧仁王門)から四五〇メートル奥社寄り、講堂こうどう川の北にある。戸隠山顕光けんこう寺の講堂跡と伝えている。東面の桁行九間、梁行五間で、六〇個の礎石が整然として現存する。「戸隠山顕光寺流記」に「承徳二年戊寅七月十二日戊午、本院講堂始建立、三間四面、萱葺也」とあって、承徳二年(一〇九八)三間四面の講堂が建立されたが、一三代静実別当の時、「井上光実、講堂東西広庇加作」(同書)とあり、二〇代寛範別当の時にも、「大講堂萱葺改成板葺」(同書)とあるように、漸次改造加作されていった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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