儒家の経典たる四書に倣ってつくられた女訓書集。17世紀、明(みん)末の王相(おうしょう)編と称するものは、後漢(ごかん)の班昭著『女誡(じょかい)』、唐の伝宋尚宮(そうしょうきゅう)著『女論語(じょろんご)』、明の仁孝文(じんこうぶん)皇后著『内訓(ないくん)』、明の王相の母劉(りゅう)氏著『女範捷録(じょはんしょうろく)』を収めるが、これとは別に、日本では1656年(明暦2)辻原元圃(げんぽ)が、『女範捷録』のかわりに唐の侯莫陳邈(こうばくちんばく)(侯莫陳は三字姓)の妻鄭(てい)氏の『女孝経(じょこうきょう)』を入れて、和文の改作本をつくっている。王相編本は、幕末に西坂天錫(にしざかてんしゃく)が句読、補注を施して翻刻され、辻原編本は、明治初期に若江秋蘭(しゅうらん)が所収作品を漢文原作本に戻し、和文の箋注(せんちゅう)を付して刊行された。『女四書』は明治・大正の良妻賢母主義教育の推進のもとでいっそう普及、注釈書の出版が一時相次いだ。
[山崎純一]
一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...