女影村(読み)おなかげむら

日本歴史地名大系 「女影村」の解説

女影村
おなかげむら

[現在地名]日高市女影・女影新田おなかげしんてんあさひおか

下鹿山しもかやま村の東にあり、南は中沢なかざわ村、川崎かわさき(現飯能市)下小畔しもこあぜ川が北東へ流れる。東端を鎌倉街道上道が北西に通る。村名は、南西にある千丈せんじようヶ池(現仙女ヶ池)に投身して死んだせんという女性の影が時として池に映ることから起こったと伝える(風土記稿)承久の乱の際、承久三年(一二二一)六月一三―一四日の宇治橋合戦で死傷した幕府方の武士のうちに女影四郎・女景太郎の名がみえ(「吾妻鏡」同年六月一八日条)、ともに当地名を名乗る武士と推定される。建武二年(一三三五)七月の中先代の乱の際、信濃国で蜂起した北条時行軍と建武政権側の渋川・岩松軍が「女影原」で戦い、敗北を喫した建武政権側の渋川刑部・岩松兵部は自害した(梅松論・七巻冊子)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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