群馬県中央部の市。2006年2月旧渋川市と伊香保(いかほ)町および赤城(あかぎ),小野上(おのがみ),北橘(きたたちばな),子持(こもち)の4村が合体して成立した。人口8万3330(2010)。
渋川市北東部の旧村,旧勢多郡所属。人口1万1981(2005)。赤城山西麓を占め,西境を利根川が南流する。JR上越線が通じ,集落と鉄道は河岸段丘上にあるが,近世の沼田街道は山麓を走り,溝呂木に宿駅がおかれた。関越自動車道のインターチェンジがある。これまで山麓緩斜面は畑,桑園であったが,現在は養豚など畜産が農業の中心で,コンニャクの生産も行われる。南部の標高400m付近には湧玉(わくたま)と呼ばれる湧泉が分布し,上水道,水田の水源に利用され,滝沢石器時代住居遺跡(史)も湧泉の付近にある。縄文時代の三原田遺跡のほか,宮田不動尊で知られる鎌倉時代の石造不動明王立像(重要文化財),江戸時代後期の農民文化を伝える上三原田の歌舞伎回り舞台(重要民俗文化財),敷島のキンメイチク(天)など文化財が多い。
渋川市南西端の旧町。旧北群馬郡所属。人口3762(2005)。榛名山北東斜面にあり,旧渋川市の西に接する。伊香保温泉をもつ観光休養地で,就業人口の大半はサービス業従事者で占められる。伊香保の地名は古くから知られ,《万葉集》に伊香保呂・伊香保嶺(榛名山),伊香保沼(榛名湖)などと見える。温泉の発見は2000年前と伝えられるが,本格的な開発は明治後期の上越線の開通以後である。温泉街は上野国三宮として知られる伊香保神社に通じる標高700~800mの急傾斜地にあり,旅館やみやげ物店が300段余の石段の両側に立ち並んでいる。泉質は含ボウ硝セッコウ泉,泉温42~45℃。泉源は湯ノ沢にあり,旅館まで引湯する。近年は湯ノ沢や物聞(ものきき)山山麓など周辺部にも旅館がふえている。1958年渋川から伊香保~榛名道路(81年無料開放)が開通し,62年に榛名湖畔まで延長されて,伊香保は榛名山周遊観光の拠点となった。物聞山山頂にはスケートリンクや展望台がつくられ,温泉街とはロープウェーで結ばれている。小説《不如帰(ほととぎす)》で伊香保温泉を有名にした徳冨蘆花の記念館がある。
渋川市北西端の旧村。旧北群馬郡所属。人口1994(2005)。小野子山南斜面を占め,南境を吾妻川が東流する。総面積の7割を山林が占め,耕地は傾斜畑が中心。シイタケやコンニャクの栽培が行われる。JR吾妻線小野上駅付近の御甲山では安山岩が採掘され,県外に移出されている。吾妻川沿いの塩川に小野上村温泉センターがある。1960年代以降人口減少が続いており,過疎地域の指定を受けている。
渋川市南東端の旧村。旧勢多郡所属。人口1万0049(2005)。赤城山南西麓を占め,利根川をはさんで旧渋川市に対する。赤城山麓の放射谷には樹枝状の水田が発達し,山麓台地上は畑,桑園が開かれた。従来,養蚕が盛んだったが,1970年の群馬用水の完成後は,ホウレンソウなどの野菜栽培がふえた。養鶏やシイタケ栽培も行われる。ユキヤナギの全国的産地で,正月用に促成栽培されたユキヤナギは京浜市場に出荷されている。前橋市,旧渋川市などへの通勤者が多い。
渋川市北部の旧村。旧北群馬郡所属。人口1万1722(2005)。子持火山(1296m)の南斜面を占める。東境を利根川,南西境を吾妻(あがつま)川が流れ,村の南端で合流する。軽石層が厚く堆積するため用水の便が悪く,畑地が大部分であったが,1970年群馬用水が完成し開田が進んだ。コンニャクが中心で,養豚や野菜生産も行われる。国道17号線が通じ,旧渋川市への通勤者が多い。白井には中世,長尾氏が拠った白井城の遺構が残されている。
執筆者:千葉 立也
渋川市南西部の旧市で,商工業都市。1954年渋川町と金島,古巻,豊秋の3村が合体,市制。人口4万7961(2005)。榛名山東麓に位置し,中心市街地は利根川と吾妻川の合流点に近く,三国街道の宿場町として発達した。また市場町としても栄え,2・7の日を市日に上之町,中之町,下之町で交互に市が開かれ,米,塩,薪炭,日用雑貨などが取引された。1921年に上越線が開通し,利根川の電源開発が進み,第2次世界大戦前から電力消費の大きい工場が立地した。特殊鋼,化学工業などを中心とした大工場があり,電気機器,木製品,土石などの工場も多く,軽石を利用したブロックの製造でも知られる。農地は粗粒の火山性土壌で生産性は低いが,榛名山麓にはリンゴの産地がある。渋川駅はJR上越線と吾妻線の分岐点で,道路では,国道17号線のほか高崎,伊香保,中之条に通じる県道が集まり,関越自動車道(1985全通)の渋川伊香保インターチェンジも,17号線との交点付近に設置されている。
執筆者:有末 武夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
群馬県のほぼ中央部にある都市。1954年(昭和29)渋川町と古巻(ふるまき)、豊秋(とよあき)、金島(かなしま)の3村が合併して市制施行。2006年(平成18)勢多(せた)郡北橘村(きたたちばなむら)、赤城村(あかぎむら)、北群馬郡子持村(こもちむら)、小野上村(おのがみむら)、伊香保町(いかほまち)を合併。榛名(はるな)火山東斜面の末端部緩傾斜地と利根(とね)川の河岸段丘上に立地し、中心集落の渋川は利根川と吾妻(あがつま)川の合流点南西に接する典型的な谷口集落である。近世以来越後(えちご)へ通じる三国(みくに)街道の宿場町、北部山地と南部平野の物資を扱う各種の座をもつ2、7日を市日(いちび)とする六斎市(ろくさいいち)の市場町として発達した。明治になって前橋、高崎、中之条(なかのじょう)、沼田へ通じた馬車鉄道は、のち電気鉄道にかわり、伊香保温泉にも電車が通じたが、1921年(大正10)国鉄上越南線(現、JR上越線)が開通、さらに沼田方面に延長、1945年(昭和20)には長野原(ながのはら)線(1971年延長されて現、吾妻線)の分岐点となった。電気鉄道は廃止されたが、国道17号、291号、353号が通じ、さらに関越(かんえつ)自動車道渋川伊香保、赤城の各インターチェンジが設置されるなど交通の要衝であることに変わりはない。工業は繊維、木工業などの在来工業のほか、近代的重化学工業が発展、また榛名山麓(さんろく)の軽石(かるいし)を原料とする建築材料のブロック製造業が知られる。西部の折原(おりはら)はリンゴの特産地。渋川駅は伊香保温泉への玄関口でもある。面積240.27平方キロメートル、人口7万4581(2020)。
[村木定雄]
『『渋川市誌』全6巻(1984~1995・渋川市)』
岡山県南部、玉野市の海岸地区。瀬戸内海国立公園の一部で、県の代表的な海水浴場。環境省選定の「日本の水浴場88選」にも選ばれている。県立渋川青年の家、玉野海洋博物館、ヨットハーバー、渋川動物公園などがある。
[編集部]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
…宇野と山田地区には大規模の塩田があったが,今はすべて廃され,山田に真空式の製塩工場,化学肥料工場ができた。渋川は県下一の海水浴場で,玉野海洋博物館もある。倉敷市との境の王子ヶ岳(231m)は瀬戸内海の絶好の展望台である。…
※「渋川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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