如法経塚跡(読み)によほうきようづかあと

日本歴史地名大系 「如法経塚跡」の解説

如法経塚跡
によほうきようづかあと

[現在地名]八幡市橋本平野山

橋本はしもとから南の平野山ひらのやまへ至る道沿いにあった。「男山考古録」に

<資料は省略されています>

とある。同書は続けて寛文元年(一六六一)の頃「此所を開拓して田畑となす、其時かしこくも件の石櫃を穿あはき、何分別無く内より彼銅板の経数枚を得て、男山の坊中に携来り納めつるか、僧侶大に恐みて(中略)神前大塔の前に一基の石塔を設建立」と記す。

また「夫婦石」については同書に「石の大サハ高三尺、長六尺許も有て、牛なとの伏たる如し、西面也、前に石鳥居在て、石の三方石の透籬在て、鳥居の柱に安永元天十二月小西長左衛門紀亮長と彫付たり」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む