鎌倉時代末~南北朝時代初期の貴族洞院公賢の日記。記事は1311年(応長1)より60年(正平15・延文5)に至るが,散逸した部分も多い。公賢は藤原氏閑院流の左大臣実泰の子で,官位は太政大臣従一位に至り,60年に70歳で没した。南北両朝に分裂後は北朝に仕えて重用されたから,その内容は枢機にわたることも多く,いわゆる〈正平の一統〉とその破綻の経緯など,南北朝時代前半の欠くことのできない重要な記録である。書名は,公賢が“中園太相国”といわれたので,その暦記(当時の人は,具注暦という暦に日記を書いた)の意味である。日記の原本は,5代の孫公数が,当時125巻あったものを1482年(文明14)に中院通秀に売却し,通秀の子通世から宮中に買い上げられたが,その後は不明。応長元年記1巻が現存するのみである。現在の流布本は,甘露寺親長が通秀から借りて抄出書写したものが主で,別に三条西実隆の抄録本《園暦抄》もある。刊本に続群書類従完成会刊行のものがある。
執筆者:今江 広道
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南北朝時代の公卿(くぎょう)洞院公賢(とういんきんかた)の日記。書名は公賢が中園太政(だいじょう)大臣と称され、具注暦(ぐちゅうれき)に記されていることによる。もと120余巻あり、50余年にわたって書き継がれたものであったが、元弘(げんこう)・建武(けんむ)(1331~37)の動乱期を含む33年分は早く失われた。現在は1311年(応長1)の1巻以外正本は伝わらず、甘露寺親長(かんろじちかなが)、三条西実隆(さんじょうにしさねたか)、広橋守光(もりみつ)らの抄出本のみが伝わる。南北朝時代の政治史料として貴重なものである。『史料纂集(さんしゅう)』所収。
[桑山浩然]
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…実雄の女のうち,佶子は亀山天皇の皇后として後宇多天皇を生んで京極院の院号を受け,愔子は後深草天皇の後宮に入って伏見天皇を生み玄輝門院の院号を受け,季子も伏見天皇の後宮に入って花園天皇を生み顕親門院の院号を受けるなど,大覚寺・持明院両皇統の国母を出したため,実雄をはじめ歴代が大臣に任ぜられる家柄となり,また実雄の男公雄が小倉家を,2代公守の男実明が正親町(おおぎまち)家を起こすなど庶流も分立し,家に多くの典籍を蓄え,博識の人も多く出た。中でも4代公賢(きんかた)は学殖もあり,《皇代暦》《歴代最要鈔》などの著作があり,《拾芥抄》もその著作といわれ,また南北朝初期の重要資料である日記《園太暦》の記主で,北朝の重鎮であった。また6代公定(きんさだ)(1340‐99)は諸家の系図を集成した《尊卑分脈》の著者として知られる。…
※「園太暦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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