妙見城(読み)みようけんじよう

日本歴史地名大系 「妙見城」の解説

妙見城
みようけんじよう

南北朝期から戦国期にかけての星野氏の居城富永とみなが屋形の耳納やかたのみのう山中にあったとされる。星野系図(筑後将士軍談)によれば、星野親忠の譜に「常陸介、居生葉郡妙見城」とみえ、「寛延記」の屋形村の項には「星野伯耆守殿出城之由、妙見ノ城と申伝候、屋形村之上耳納山続ニ而御座候」とある。「大友家文書録」暦応二年(一三三九)一〇月条によれば、菊池武重らが先帝(後醍醐天皇)法要を営む際、大友氏泰が「明見城」を攻略して陥落させたといい、「筑後将士軍談」にも同様の記述がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む