妻崎開作(読み)つまざきかいさく

日本歴史地名大系 「妻崎開作」の解説

妻崎開作
つまざきかいさく

[現在地名]宇部市大字妻崎開作

本山もとやま半島に延びる厚狭あさ郡南部の丘陵の東に、文化一四年(一八一七)、萩藩直営工事として撫育方瀬戸内海を埋め立ててできた新田村。北は中野なかの開作、西は東須恵ひがしすえ西須恵にしすえ(現小野田市)、東は厚東ことう川を挟んで藤曲ふじまがりの各村に接する。南は瀬戸内海に面したが、安政六年(一八五九)萩藩直営の妻崎新開作が作られた。萩藩領で舟木宰判に属する。

「注進案」に「文化十四丑年新たに御築立なりしは妻崎開作なり、両(中野開作とも)税田合して二百十町余の公田となり永代不朽の新田といふべし」と記される。御家来中勲功開作宰判寄附取には、この開作は「弐百町余 妻崎 毛利蔵主(伊勢)」とあり、萩藩主毛利氏の一門吉敷毛利氏の勲功開作であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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