デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「威徳王」の解説 威徳王 いとくおう 525-599* 百済(くだら)(朝鮮)の第27代国王。在位554-599*。聖王(聖明王)3年生まれ。聖王の子。553年高句麗(こうくり)(朝鮮)を攻める。翌年新羅(しらぎ)(朝鮮)遠征中に父は戦死したが,自身は筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)にたすけられる。日本に何度か使者を派遣し,敏達(びだつ)天皇6年(577)には経論,僧,造仏工などをおくった。威徳王45年12月死去。74歳。諱(いみな)は昌。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の威徳王の言及 【百済】より … 552年に百済は漢江下流域を回復するが,翌年この地を新羅に奪われた。554年王子余昌(威徳王)の救援に向かった聖王が,新羅軍と戦って戦死した。聖王の戦死によって内政では中央集権体制の整備に支障をきたし,対外的には562年に百済の支配下にあった加羅諸国を新羅に奪われた。… ※「威徳王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by