精選版 日本国語大辞典 「娑婆で見た彌次郎」の意味・読み・例文・類語
しゃば【娑婆】 で 見(み)た=彌次郎(やじろう)[=彌三郎(やさぶろう)]
- 知っている人に、あくまでも知らないふりをすること。知人を知らない人のように扱うこと。「彌次郎・彌三郎」は、「彌四郎・彌十郎・八太(やた)」などにかえてもいう。娑婆彌次郎。
- [初出の実例]「裟婆で見た彌次郎もきけほととぎす〈不弁〉 影左衛門かなつの一夕〈常頼〉」(出典:俳諧・生玉万句(1673))
- 「常とはかはり、すこし智恵の有やうにして、此世の人とも思はれず、娑婆(シャバ)で見た彌三郎殿の御礼」(出典:浮世草子・好色一代男(1682)七)
娑婆で見た彌次郎の語誌
「彌次郎」という名は、戦国時代末のうそつき彌次郎という有名なこっけい人に由来するか。「醒睡笑‐一」によると、ある僧が佐渡で土中入定(どちゅうにゅうじょう)といって、生きながら埋められて往生するとみせかけておきながら、抜け穴から逃げ出して越後に渡っていたところ、以前召使っていた彌次郎という男に偶然出会って声をかけられ、初めのうちは知らぬ顔をしていたが、ついには、それもできかねて、「げにもげにもよく思い合わすれば娑婆で見た彌次郎か」と言ったという話から出たことばという。