日本歴史地名大系 「子来町」の解説 子来町こぎまち 石川県:金沢市金沢城下第七連区子来町[現在地名]金沢市子来町(こらいまち)八幡(はちまん)町の中ほどから東へ延び末広(すえひろ)町へ続く通りに沿う町。長さは約四町(皇国地誌)。慶応三年(一八六七)の卯辰(うたつ)山開拓により開けた所で明治三年(一八七〇)町立てされた(金沢古蹟志)。翌四年には国運寺(こくうんじ)門前・法住坊(ほうじゆうぼう)門前を合併し、戸数二二(「御布告留帳」加賀藩史料)。臨済宗国運寺は元和元年(一六一五)の創建。当初は大豆田(まめだ)河原にあったが、寛文一一年(一六七一)観音山下(かんのんやまちた)町に移った。その後洪水にあい元禄八年(一六九五)当地に移転したが、宝暦年間(一七五一―六四)無住となったため瑞光(ずいこう)寺に合併されたという(加能郷土辞彙)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報