日本歴史地名大系 「子母口村」の解説 子母口村しぼくちむら 神奈川県:川崎市高津区子母口村[現在地名]高津区子母口・子母口富士見台(しぼくちふじみだい)北は下小田中(しもこだなか)村(現中原区)、南は蟹谷(かにがや)村・久末(ひさすえ)村、東は明津(あくつ)村、西は清沢(きよさわ)村に接する。用水は村内を流れる根方(ねかた)堀を利用。久保(くぼ)・鳴子下(なるこした)・根田(ねだ)・宮原(みやはら)などの小字がある。至徳元年(一三八四)七月二三日の沙弥聖顕請文写(県史三)に「稲毛新庄内渋口郷」とみえ、新田岩松氏領で、同文書によれば江戸希全らに押領されたため、岩松氏は鎌倉府へ訴え、その主張が認められて下地を岩松氏に沙汰付する使者として沙弥聖顕が渋口郷に赴いたところ、希全らは城郭を構え打渡しを拒否したとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by