宇久須村
うぐすむら
[現在地名]賀茂村宇久須
西は宇久須湊に面し、北は田方郡小下田村(現土肥町)。黄金崎は駿河湾に突き出た岬で岩石の風化のために黄褐色を呈し、それが夕日にあたって黄金色に輝くことから名付けられたとも、昔黄金を採掘したことにちなむともいわれる(「南豆風土誌」など)。古くは御茶屋ヶ崎と称したという。文禄三年(一五九四)八月の検地によると高八七一石余、田地五四町一反余・畑屋敷地三二町余(「村高反別差出帳」宇久須区有文書)。江戸時代はじめは幕府領、享保一三年(一七二八)から同一八年まで上野館林藩領、のち幕府領となり元文四年(一七三九)再び館林藩領、延享三年(一七四六)掛川藩領となり幕末に至る(韮山町史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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