20世紀日本人名事典 「宇垣纏」の解説
宇垣 纏
ウガキ マトメ
大正・昭和期の海軍中将
- 生年
- 明治23(1890)年2月15日
- 没年
- 昭和20(1945)年8月15日
- 出生地
- 岡山県
- 学歴〔年〕
- 海兵(第40期)〔明治45年〕卒,海大〔大正13年〕卒
- 経歴
- 軍令部員となり昭和3年ドイツ駐在、第5戦隊、第2艦隊各参謀、7年海軍大学教官、連合艦隊参謀、「八雲」「日向」各艦長、13年軍令部第1部長、16年4月第8戦隊司令長官、同8月連合艦隊参謀長となり、山本五十六司令長官の下で真珠湾攻撃に参加。18年4月ラバウルを出発した山本長官機は撃墜され戦死、2番機の宇垣は重傷、海中に投げ出され救助された。19年第1戦隊司令官、20年2月第5航空艦隊司令長官となり沖縄への特攻作戦を指揮、8月15日、終戦の詔勅をラジオで聞き大分基地から彗星11機を率いて沖縄の敵艦船群に最後の特攻攻撃をかけた。遺稿に「戦藻録」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報