朝日日本歴史人物事典 「宇津木昆台」の解説
宇津木昆台
生年:安永8(1779)
江戸後期の医者。名は益夫,号は天敬。尾張(名古屋)藩に生まれ,松田棣園を師として学に励むとともに,考証派の医家,浅井貞庵と平野竜門に学ぶ。18歳で上京して諸大家と交わり,京都車屋町御池に医業を開いて,古医方家として一世を風靡した。明清の復古考証派の影響のもと,『傷寒論』を古代の『風寒熱病方』経篇だとし,『金匱要略』をその補篇としてとらえ,文章を組み換えてその本旨を究めようとした。著書は『古訓医伝』『日本医譜』『解荘』『詩文集』など多数がある。神儒釈老医の五学に通じ,五足斎と自称する博学の人であった。<参考文献>大塚敬節「『近世漢方医学書集成』24巻解説」
(石田秀実)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報