改訂新版 世界大百科事典 「農民解放」の意味・わかりやすい解説
農民解放 (のうみんかいほう)
中世以来領主制の支配下にあった農民を,その隷属状態から解放して自由な農業経営者たらしめるため,18世紀末から19世紀にかけてヨーロッパ各国で行われた改革。農業制度を資本主義体制に順応させるための改革ともいいうる。中世末の農奴解放とは概念的に区別される。改革の内容は大別して,(1)農民の人格的自由の承認,(2)賦役,貢租,十分の一税等の物的負担からの解放,(3)農民の土地所有権の確認,の3点から成るが,革命を通じて領主の諸権利を全面的に廃棄したフランスを除き,一般には農民による領主への補償金(権利の買戻金)支払を条件としており,その補償条件を含めて解放の様態は国によりさまざまである。
(1)フランスでは,フランス革命初期の1789年8月4日に国民議会により封建制の廃止が宣言され,その際領主の〈人に対する権利〉は無償で,〈物に対する権利〉は有償(貢租など物的負担の年額の20~25倍の金額)とされた。しかしその後革命の急進化に伴い,93年7月国民公会によりいっさいの領主権の無償廃棄が決定されて,農民解放は一挙に遂行された。
(2)プロイセンでは,プロイセン改革の一環として1807年10月の〈十月勅令〉により隷農制Untertänigkeitが廃止されて,農民は人格の自由を得たが,物的負担の廃止は有償とされ,それは農民が自己の保有地の1/2~1/3を領主に割譲するという方式がとられた(1811年の〈調整令〉)。しかしこれは強制的ではなかったので,農民解放の完結は48年の革命を経たのちの50年3月の法律(物的負担の有償強制廃棄と地代銀行による償金支払の肩代り)を待たなければならなかった。
(3)オーストリアでは18世紀の啓蒙絶対君主ヨーゼフ2世が早くも1781年に農奴解放令を出しているが,フランス革命以後の反動期に改革は停滞し,ようやく1848年の革命で遂行された(1848年9月の法律。隷農制は無償,物的負担は有償廃棄)。総じてドイツ諸国では,農民解放は18世紀末~19世紀初頭に政府の立法によって始まり,1848年の革命で完了した。
(4)ロシアでは1861年アレクサンドル2世の農奴解放令で農民の人格的自由が認められたが,農民が物的負担から解放された土地所有者となるためには負担年額の17倍の買戻金支払を必要とした。解放手続はようやく83年に完了したが,なおこの手続はすべて村共同体(ミール)を通じて行われ,したがって農民は個人としてではなく,村共同体の一員として解放された。これがロシアの農民解放の特徴である(なお,ロシアの農民解放は一般には農奴解放とよばれる)。
(5)経済の最先進国イギリスでは,中世末以来なしくずし的に事実上の農民解放が進行したため,逆に立法上は特に見るべきものはない。
農民解放が無償で行われたフランスでは,解放は貴族領主を没落させるとともに大量の中小農民を創出したが,それに対し有償解放方式をとった中欧・東欧(ロシアを含む)諸国では,農民解放はむしろ領主の利益になり,領主経営の資本主義化が促進される一方,多くの農民が負債を負って没落した。しばしば〈領主のための農民解放〉ということがいわれるゆえんである。
執筆者:坂井 栄八郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報