宇茂佐村
うんさむら
[現在地名]名護市
宇茂佐・
中山 名護間切の西寄りに位置し、東は宮里村。集落は名護湾に面する砂質の低地に立地し、北側は丘陵地、北東に東屋部川が造る低地が広がる。宇茂佐古島遺跡があり、宇茂佐村と屋部村の発祥の地とされる。屋部川河口からは高麗系の古瓦が出土。絵図郷村帳に名護間切「うむさ村」がみえる。琉球国高究帳にも同様に記され、高頭三二石余、うち田三一石余・畠一石余。「琉球国由来記」に宇茂佐村と記され、当村のアヲヤマノ嶽(神名ワカツカサノ御イベ、現在の宇茂佐御嶽)と神アシアゲは屋部ノロが祭祀を管轄。設置時期は不明だが、集落の西端にイリヌシーサー、東端にアガリヌシーサーの村獅子が置かれている。近世後期、名護間切でも屈指の豪農であった宇茂佐ハーヌウイは仕明地を広く所有した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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