日本歴史地名大系 「宇那谷村」の解説 宇那谷村うなやむら 千葉県:千葉市花見川区宇那谷村[現在地名]花見川区宇那谷町・内山町(うちやまちよう)・こてはし台(こてはしだい)二丁目横戸(よこど)村の南に位置する。印旛(いんば)郡の内。慶長一九年(一六一四)の東金御成街道覚帳に村名がみえ、川場を含む四〇間の道普請を負担。寛永七年(一六三〇)旗本石河領となり、同九年の知行高書上写(青柳家文書)に「市場之郡臼井之庄」内の宇那屋村とあり、高三一九石余。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高三九〇石で同知行。同一五年佐倉藩領となり、幕末に至る。旧高旧領取調帳では同藩領三九七石余のほか鹿島神社除地四石余・大聖(だいしよう)寺除地八石余。享保二〇年(一七三五)の検地帳(宇那谷町有文書)によれば、古水帳が不明のため六尺一歩間竿をもって全面再検地が行われ、田二三町歩余・畑八町四反余・屋敷七反余・山畑四町九反余で、享保一六年・同二〇年に新田畑が高入れされている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by