日本歴史地名大系 「守忠名」の解説 守忠名もりただみよう 三重県:桑名市森忠村守忠名[現在地名]桑名市森忠伊勢国員弁(いなべ)郡にあった名田名で、延文元年(一三五六)一二月二八日の道閑書状(永源寺文書)に「伊勢国久米守忠者、道閑代々相伝無相違所にて候、上分を唯密之時、寄進万寿寺候、於下地ハ一円ニ尾張治部大輔殿可為管領候、当所内至普聞寺一色寺田者乃本御房有御知行」とある。南北朝内乱期には、仁木義長ら守護勢力が当地の違乱を続けた(応安三年二月六日付「乃本書状」同文書)。室町期に入っても、下地はきわめて不安定で、永源(えいげん)寺(現滋賀県永源寺町)雑掌は日野廷尉介が守忠名の押妨を続けているので、早くその行為を停止してほしいと幕府へ訴えている(応永二一年九月二日付「細川満元施行状」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by