安富荘(読み)やすとみのしょう

改訂新版 世界大百科事典 「安富荘」の意味・わかりやすい解説

安富荘 (やすとみのしょう)

肥前国佐嘉郡(現,佐賀県佐賀市)に設定された長講堂領荘園。立券荘号の時期,荘域などは明確ではないが,1191年(建久2)長講堂所領注文に安富御領とあるのが初見史料で,貢進物としての〈元三雑事,御簾二間,御座一枚小文〉の未進が記されている。1292年(正応5)河上宮造営用途支配惣田数注文には,〈安富荘二百四十丁八反,関東御教書につき定め了(おわん)ぬ,元五百六十七丁四反二丈〉とあり,ほとんど半減していたことがわかる。1337年(延元2・建武4)7月の青方高直目安状案によれば,討幕の恩賞地として松浦一族に配分支配させたことがわかり,長講堂領としては事実上不知行の状態にあったものと思われる。しかしなお1407年(応永14)の長講堂領目録には〈一庁分 肥前国安富荘年貢米五十石〉と見える。
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百科事典マイペディア 「安富荘」の意味・わかりやすい解説

安富荘【やすとみのしょう】

肥前国佐嘉(さか)郡にあった長講(ちょうこう)堂(現京都市下京区)領の荘園で,佐賀県佐賀市から佐賀郡富士町・大和(やまと)町(2町とも現・佐賀市)に及ぶ一帯比定。1191年の長講堂所領注文に安富御領とみえ,貢進物として〈元三雑事 御簾二間 御座一枚 小文ゝ〉とあるが未進であった。当荘の面積はもとは567丁4反2丈であったが,13世紀末には240丁8反。1337年討幕の恩賞地として松浦一族に配分されており,長講堂領としての機能は事実上停止していたものと思われる。

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