日本歴史地名大系 「安心院庄」の解説
安心院庄
あじむのしよう
中世、宇佐大宮司安心院氏が支配していた地域をさす呼称で、本家・領家などが定められた庄園ではなかったと考えられる。「宇佐郡地頭伝記」によると、安心院公泰は大御神」(現安心院町妻垣神社)が「安心別倉」の東方高岳に鎮座するとするのが安心院(安心)の地名のみえる比較的早期の史料で、長保五年(一〇〇三)八月一九日の宇佐八幡宮司解(同文書)には、宇佐宮行幸会豊前国八ヵ社の一として「安心院」がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報