安心院(読み)あんしんいん

日本歴史地名大系 「安心院」の解説

安心院
あんしんいん

[現在地名]岡崎市明大寺町 馬場東

明大寺山の北麓にある。金宝山と号し、曹洞宗。もと滝の万松たきのばんしよう寺末。本尊は十一面観音。この十一面観音は源義経の念持仏という。義経が浄瑠璃姫菩提のために建てたという妙大みようだい寺に安置されたが、伽藍はその後廃退して、妙大寺の一宇であった旧跡に結ばれた草庵の本尊として伝えられたものともいう(安心院由緒)。永享一一年(一四三九)六名むつな影山城主成瀬大蔵佐国平が、竜沢永源を請じて母の追善のため一宇を建立したのに始まる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「安心院」の意味・わかりやすい解説

安心院
あじむ

大分県北部、宇佐(うさ)郡にあった旧町名安心院町(まち))。現在は宇佐市の南部東寄りにあたる地域。旧安心院町は1938年(昭和13)町制施行。1955年深見(ふかみ)、津房(つぶさ)、佐田(さだ)の3村および駅川(えきせん)村の一部と合併。2005年(平成17)宇佐市に合併。国道500号と宇佐別府道路が通じる。旧町名は中世以来の地名による。湖水跡にアシが生えていたので蘆生(あしぶ)、のち「あじむ」とよばれたという。駅館(やっかん)川支流の深見川、津房川、佐田川が盆地を流れ、その流域と、3川が合流する安心院断層盆地に米、周縁の第三紀丘陵にブドウを産する。盆地には条里遺構があり、中心の安心院は市場町竜王山(315メートル)の麓(ふもと)に17世紀(細川、松平両氏の時代)の小城下町の名残(なごり)がある。仙の岩(せんのいわ)、東椎屋の滝(ひがししやのたき)(高さ85メートル)、福貴野の滝(ふきののたき)の耶馬渓(やばけい)式風景と、スッポン、コイ料理にアジムワインが知られる。南畑(みなみはた)の溶岩台地上にはアフリカンサファリ九州自然動物公園)があり、楢本磨崖仏(ならもとまがいぶつ)も知られる。

[兼子俊一]

『『安心院町誌』(1970・安心院町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安心院」の意味・わかりやすい解説

安心院
あじむ

大分県北部,宇佐市南東部の旧町域。駅館川の上流津房川流域に開ける。 1938年町制。 1955年深見村,佐田村,津房村の3村および駅川村の一部と合体。 2005年宇佐市,院内町と合体し,宇佐市となる。古くからの農業地域で,条里制の遺構がみられる。米作,畜産のほか,1965年からは国営パイロット事業としてブドウ栽培も行なわれる。清流を利用したスッポンの養殖でも知られる。竜王山,仙ノ岩,東椎屋の滝,福貴野の滝などの景勝地,楢本磨崖仏のほか,1976年開園の九州自然動物公園 (アフリカンサファリ) もあり,多くの観光客を集める。

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百科事典マイペディア 「安心院」の意味・わかりやすい解説

安心院[町]【あじむ】

大分県北部,宇佐郡の旧町。駅館(やっかん)川上流の津房(つぶさ)川流域の安心院盆地が中心で,条里制遺構も見られ,古くから米麦作が行われてきた。ブドウを多産し,養蚕も行う。肉牛,野菜,シイタケの産もある。町名は古く葦生(あしぶ)と称し,律令時代院倉があったことに由来するという。2005年3月宇佐郡院内町と宇佐市へ編入。147.17km2。8552人(2003)。

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改訂新版 世界大百科事典 「安心院」の意味・わかりやすい解説

安心院 (あじむ)

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