安志岐庄(読み)あしきのしよう

日本歴史地名大系 「安志岐庄」の解説

安志岐庄
あしきのしよう

現筑紫野市北東部、阿志岐あしきを遺称地とする庄園。阿志岐庄とも記され、鎌倉―戦国期には安楽寺(太宰府天満宮)の主要な庄園であった。安楽寺草創日記によれば、長和四年(一〇一五)に安楽寺西堂に「阿志岐御封」一五三町四反七二歩が寄進され、さらに延久四年(一〇七二)に食堂修理のため寄進された庄園の内に「安志岐」がみえる。寛喜元年(一二二九)五月二三日の安楽寺修理少別当である信宗の前欠所領注進状(太宰府天満宮文書/鎌倉遺文六)によれば、大蔵院灯油田一町五段が「安志岐・寺辺」にあった。同所は建長二年(一二五〇)六月三日信宗から信全へ相伝され、信全は「安志岐御封」の封司職に補任され、封司職に付属する得光名と小松丸名を先祖伝来の所職・名田として受継いでおり(「信全所領注進状案」同文書/鎌倉遺文一〇)、弘安五年(一二八二)四月一七日、これらの所職・所領は信全の子息信朝に譲られた(「信全所職等譲状案」同文書/鎌倉遺文一九)。この時の譲状から得光名に封司給五反があり、大蔵院灯油田一町五反のうち八反は得光名に、七反は「寺辺弥幸泉名田」にあったことが判明し、また安志岐庄千寿丸名および安志岐小松丸名の証文も信全から信朝へと譲られた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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