日本歴史地名大系 「安楽嶋村」の解説 安楽嶋村あらしまむら 三重県:鳥羽市安楽嶋村[現在地名]鳥羽市安楽島(あらしま)町・高丘(たかおか)町・大明東(おあきひがし)町・大明西(おあきにし)町鳥羽湾口の島で、湾を隔てて西に鳥羽町があり、北に坂手(さかて)島がある。中潟(ちがた)・細田(ほそだ)・いわて・村山(むらやま)など遺物包含地が各地にあって、弥生式土器・土師器・須恵器片が出土する。中潟・小浦(こうら)・寺山(てらやま)・狐塚(きつねつか)・焼立(やきたて)に古墳があり、狐塚古墳は石室を残している。建武元年(一三三四)八月二二日の後醍醐天皇綸旨案写(光明寺古文書)によれば「荒志嶋庄阿具志村円応寺」は天皇の御祈祷所であるため甲乙人らの乱人狼藉を禁じている。また同三年と思われる円応寺雑掌慈哲申状(同文書)では同寺の大檀那藤内左衛門が元弘元年(一三三一)に寺田二段を寄進し、守護代官もこれを認めたが、前月の九日御家人須田彦次郎・同輔房らは寺田を長田内と称し、下作人の私宅に打入り、資財を探り取ることを訴えている。建武四年六月の尼法宗申状写(同文書)では亡夫阿久志左衛門道妙の遺船四艘と貨財を舎弟駿河国江尻(えじり)(現清水市)住人定願と阿久志嶋住豊後房らのために抑留されたことを訴えている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by