日本歴史地名大系 「安養寺廃寺」の解説
安養寺廃寺
あんようじはいじ
[現在地名]近江八幡市安養寺町
安養寺町の南に広がる水田地帯にあったと考えられる白鳳期から中世末期までの寺院。元亀二年(一五七一)織田信長の軍勢により焼かれたと伝え、「輿地志略」は安養寺村の項で、「相伝、往古安養浄土寺と号する大伽藍地にて、当村悉く其境内なりといふ。今石仏石塔等散在す其遺趾なり」と記している。明治時代までは伽藍遺構がある程度まで推測できたもようで、「蒲生郡志」には「寺趾方十六町あり、其内に大金塔、六字塔、灌頂堂、経堂、観音堂、梵鐘堂等の趾を存し、残礎数ふ可し。又塔の心柱の巨石は其長さ一丈、幅六尺余あり、中央に柱心挿入の穴を穿つ。穴の径三尺五寸あり。(中略)布目瓦の破片所々に磊落たり」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報