丸山(読み)マルヤマ

デジタル大辞泉 「丸山」の意味・読み・例文・類語

まるやま【丸山】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「丸山」姓の人物
丸山薫まるやまかおる
丸山健二まるやまけんじ
丸山権太左衛門まるやまごんだざえもん
丸山定夫まるやまさだお
丸山真男まるやままさお

まるやま【丸山】[地名]

長崎市の遊郭のあった所。遊里は江戸初期に始まり、京の島原、江戸の吉原、大坂の新町と並んで繁栄した。

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精選版 日本国語大辞典 「丸山」の意味・読み・例文・類語

まる‐やま【丸山・円山】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 形の丸く見える山。
    1. [初出の実例]「南の檐には高き丸山あり」(出典:海道記(1223頃)鎌倉遊覧)
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] ( 円山 ) 京都市東山区、円山のふもとにある時宗の寺、安養寺の山号(慈円山とも)、または通称。
      1. [初出の実例]「南の方より丸山(マルヤマ)双林寺を八坂の塔に越え出て」(出典:仮名草子・浮世物語(1665頃)一)
    2. [ 二 ] ( 丸山 ) 長崎の遊郭のあった所。丸山町寄合町とを総称していう。江戸時代、京都の島原、大坂の新町、江戸の吉原とならんで栄えた。
      1. [初出の実例]「宿に足をもためず、すぐに丸山(マルヤマ)にゆきて見るに」(出典:浮世草子・好色一代男(1682)八)
    3. [ 三 ] ( 円山 ) 京都市東山区にある花頂山南側の小丘。付近一帯を円山公園が占める。標高一二〇メートル。
    4. [ 四 ] ( 円山 ) 北海道札幌市中央区にある山。三百余種の植物が茂り、国天然記念物に指定されている。ふもとに円山公園がある。標高二二六メートル。

まるやま【丸山・円山】

  1. 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「丸山」の解説

丸山
まるやま

旧袋きゆうふくろ川右岸、同川と円護寺えんごじ川の合流点南側に位置する独立小山。標高八五メートル。西方で千代川と旧袋川が合流する。

〔戦国期〕

鳥取城の出城として丸山城が築かれていた。天正七年(一五七九)と推定される一〇月八日の吉川元長書状(吉川家文書)に「鳥執丸山」とみえ、同書状によれば羽衣石うえし(現東郷町)城主南条元続が織田信長方につき、毛利方に反旗を翻しており、元長は丸山城は今のところ守りは固いが数日の籠城の用意しかなく、心もとないとしている。同九年羽柴秀吉の出陣を聞いた吉川経家らは援軍を要請、当城には境与三右衛門が派遣され(寛永二一年「山県長茂覚書」同文書)、次いで賀露かろと鳥取との中間にある山城の当城に山県左京進も派遣されることとなり(三月二〇日「吉川経家書状」同文書)、結局当城には塩冶周防・佐々木三郎左衛門・奈佐日本助、加番として山県左京・堺(境)与三右衛門のほか近習衆の小石見衆・舟手衆・中間衆などが籠城することとなった(前掲山県長茂覚書)


丸山
まるやま

[現在地名]佐倉市弥勒町みろくまち

町組まちぐみの南東に位置する城外の侍屋敷地で、台地上に立地。北は成田道に沿うさかな町。もとは鏑木かぶらき村のうちであった。大久保忠朝時代には空地であったが(「佐倉絵図」小田原市立図書館蔵)、松平乗邑時代には足軽小屋があった(「佐倉城絵図」篠丸家蔵)。「古今佐倉真佐子」によると、畑中の松山を丸山といい、春か秋に同地で晴天一〇日を祈願して芝居を行ったという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「丸山」の意味・わかりやすい解説

丸山(旧町名)
まるやま

千葉県南部、安房郡(あわぐん)にあった旧町名(丸山町(まち))。現在は南房総市(みなみぼうそうし)の北部東寄りの地域。安房丘陵の山間地域に位置し、太平洋に面する。1955年(昭和30)豊田(とよた)、丸の2村と千倉(ちくら)町の一部が合併して町制施行。2006年(平成18)、安房郡富浦町(とみうらまち)、富山町(とみやままち)、三芳村(みよしむら)、白浜町(しらはままち)、千倉町(ちくらまち)、和田町(わだまち)と合併して市制施行、南房総市となった。地名は中央を流れる丸山川に由来する。旧町域は海岸線をJR内房(うちぼう)線が通り、国道410号と128号が交差する。平安時代末期に丸氏が丸城を築き、以後400年間この地を支配したが、戦国時代里見氏に交代し、江戸時代初期に幕府直轄地となった。北部に県最高峰で標高408メートルの愛宕山(あたごやま)がそびえ、近くの県営嶺岡牧場(みねおかぼくじょう)は、幕府の牧(まき)が置かれた所で、県指定史跡の日本酪農発祥地の碑がある。酪農がもっとも盛んで、パセリレタスなどの野菜生産や米作がこれに次ぐ。行基(ぎょうき)の開いた石堂寺(いしどうじ)の本堂・薬師堂、旧尾形家住宅は国の重要文化財に、賀茂(かも)神社の加茂(かも)の三番叟(さんばそう)は選択無形民俗文化財に指定されている。

[山村順次]

『『丸山町史史料集』(1986・丸山町)』


丸山(遊廓)
まるやま

江戸時代から昭和の第二次世界大戦後まで長崎市にあった遊廓(ゆうかく)の名。市内に散在した遊女屋を、現在の長崎市丸山町および寄合(よりあい)町に移住させて集娼(しゅうしょう)区画としたのは、島原の乱後の1642年(寛永19)説が有力である。江戸時代には京・江戸・大坂と並ぶ大規模な遊廓だったが、鎖国下の唯一の開港地として独特の制度をもった。遊女は唐人行(とうじんゆき)、オランダ行があって日本人相手と区別し、オランダ行が出島への出張を認められ、唐人行が唐人客のために市中への外出が自由であるなど、1689年(元禄2)に唐人屋敷内に居住制限されたのちも比較的自由に外出できた。また、名附(なづけ)遊女といって、名義料を払って遊女屋に在籍のまま唐人らの妾(めかけ)となるものがいた。安政(あんせい)開港(1859)後は稲佐の露人館や外国商館へ出張先を拡大した。丸山遊女の衣装は全国一の豪華さを誇ったが、富裕な異国人の財力を背景にしたものであり、正月8日の踏絵に出頭する遊女や禿(かむろ)の盛装は踏絵衣装とよばれ、見物人が出るほどであった。

[原島陽一]


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百科事典マイペディア 「丸山」の意味・わかりやすい解説

丸山【まるやま】

長崎市街東部の一地区。1642年遊廓となり,京都島原,江戸新吉原(吉原)と並び称された。延宝年間轡(くつわ)(遊女屋)103軒,遊女766人,うち太夫127人を数え,貞享〜宝永年間最盛期を迎えた。遊女は出島への出入りを許され,安政開港後は他の外国人居留地へも出向いた。頼山陽向井去来,蜀山人らの文人,坂本竜馬,高杉晋作らも訪れた。ドゥーフの愛人瓜生野(うりゅうの),シーボルトの愛人其扇(楠本タキ)は最も名高い引田(ひけた)屋の名妓であった。
→関連項目唐来参和遊郭(廓)

丸山[町]【まるやま】

千葉県南部,安房(あわ)郡の旧町。丸山川流域の丘陵地を占め,南東は太平洋に面する。中世以来の嶺岡(みねおか)牧場の伝統を継ぎ房州酪農の一中心。米,野菜が栽培される。内房線が通じる。2006年3月,安房郡富浦町,富山町,白浜町,千倉町,和田町,三芳村と合併し市制,南房総市となる。44.11km2。5806人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「丸山」の意味・わかりやすい解説

丸山
まるやま

千葉県南部,南房総市東部の旧町域。房総半島の南部に位置し,南東で太平洋に面する。 1955年豊田村,丸村の2村と千倉町の一部が合体して丸山町が成立。 1956年南三原村の一部を編入。 2006年富浦町,富山町,三芳村,白浜町,千倉町,和田町と合体して南房総市となった。中世は丸氏,里見氏の所領で,近世には江戸幕府の直轄地。地溝帯の丸山平野では米作,乳牛飼育が行なわれる。石堂にある石堂寺の本堂,多宝塔,薬師堂および旧尾形家住宅は国指定の重要文化財。海岸部一帯は南房総国定公園に,嶺岡浅間 (336m) 南西麓にあたる北部一帯は嶺岡山系県立自然公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「丸山」の意味・わかりやすい解説

丸山 (まるやま)

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デジタル大辞泉プラス 「丸山」の解説

丸山

和歌山県田辺市、天神崎の沖合約0.1km、田辺湾口に位置する無人島。島頂には1996年に役目を終えた丸山灯台がモニュメントとして残る。

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世界大百科事典(旧版)内の丸山の言及

【日田[市]】より

…97年(慶長2)には毛利高政が入り,1万石を領するとともに日田・玖珠(くす)両郡の太閤蔵入地を統治し,1601年高政が佐伯に移封した後はその預領地,および江戸幕府の代官小川光氏の直轄地となった。光氏は丸山城を築き,その城下町丸山を形成した。16年(元和2)石川忠総が永山城(丸山城を改称)に6万石で入部し,丸山町を豆田町と改称。…

【揚屋】より

…また,遊女の出張・派遣(町売りという)を禁止したことにも関連していると考えられる。揚屋のない長崎の丸山遊郭では,町行きや船遊山(ふなゆさん)が自由であったことが反証となる。遊郭の揚屋制は絶対条件でなかったから,遊郭によって揚屋をおかぬ所もあれば,地方で三都をしのぐ揚屋数をもった所(下関など)もあった。…

【長崎[市]】より

…中心商店街が都心部の浜町および観光通りにあり,隣接する銅座町,新地町,籠(かご)町は各種料理店,バー,クラブなどの多い歓楽街を形成している。この東に続く丸山町,寄合町一帯は,かつて丸山と呼ばれる花街だったところで,長崎貿易に集まる商人たちを相手に繁栄し,江戸の吉原,京の島原とともに広く知られた。 工業は幕末に起源をもつ造船業が,湾の西岸に建設された三菱重工長崎造船所を中心に発展し,明治,大正,昭和にわたって市の経済を支えてきた。…

【遊郭(遊廓)】より

…江戸は徳川氏になってから1617年に傾城町の建設が認められたもので集娼制はいっそう明確であり,57年(明暦3)に浅草の新吉原へ移転したものが幕末を経て昭和まで存続した。このようにして各地に設置された公認遊郭の主要なものを示せば,前記3遊郭のほか,伏見撞木(しゆもく)町,奈良木辻(きつじ),大津柴屋(しばや)町,駿府弥勒(すんぷみろく)町,敦賀(つるが)六軒町,越前三国,佐渡鮎川(相川)(あいかわ),堺高須,同乳守(ちもり),神戸磯ノ町,播磨室津,備後鞆(とも),安芸宮島,同多太海(忠海)(ただのうみ),石見温泉津(ゆのつ),下関稲荷町,博多柳町,長崎丸山などで,《洞房語園(どうぼうごえん)》(1720)は計25ヵ所を挙げている。それらの中には江戸時代前期にすでに衰微したものもあり,諸書の伝える遊郭は地名,件数ともに多少の異同があって一致せず,設置の起源なども確定できないものが多い。…

【丸山古墳】より

…丸山または円山(まるやま)と呼ぶ古墳は各地にあって,多くは円墳であるが,前方後円墳の後円部にこの名をつけたものもある。佐賀丸山古墳群(佐賀県),鶴山丸山古墳(岡山県)などは有名である。…

※「丸山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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