宗祐寺(読み)そうゆうじ

日本歴史地名大系 「宗祐寺」の解説

宗祐寺
そうゆうじ

[現在地名]榛原町大字萩原

伊勢街道北方に所在。良栄山と号し、融通念仏宗。本尊阿弥陀如来十聖囲繞画像。融通念仏宗の宇陀うだ郡地方における本山的存在で、明治初年まで五三の末寺を有した。寺伝では、敏達天皇一〇年に聖徳太子東国遠征の功成就したことによって、同年八月に勅許を得て当山を開き、毘沙門天像を勧請し多聞たもん院と号し、僧恵仁に護持させたという。その後天徳(九五七―九六一)の頃、融通念仏宗の祖良忍が聖徳太子殺生戒の霊地を尋ねて当地に来り、融通念仏を勧進したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む