宝亀村
ほうきむら
紐差村の東に位置し、海に臨む東部は北の京崎と南の神鳥や黒島が造る広い入江で、鬼子島・前ノ島・平子島などが浮ぶ。中世は宇野御厨のうちとして保々木とみえるが、室町期には雨蘇村とも称し、宝亀と改めたのは江戸時代に入ってからという。江戸時代は下方村のうち。一六一六年(元和二年)平戸のイギリス商館のニールソンの船は逆風のためフーケーFookkeeに宿泊、翌日セットー(瀬戸、現大瀬戸町)に向かっている(「イギリス商館長日記」同年五月二六日条)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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