日本歴史地名大系 「宝円寺門前」の解説 宝円寺門前ほうえんじもんぜん 石川県:金沢市金沢城下第三連区宝円寺門前[現在地名]金沢市宝町(たからまち)・東兼六町(ひがしけんろくまち)・扇町(おうぎまち)曹洞宗宝円寺の四囲を囲むようにできた町で東は材木(ざいもく)町・天神(てんじん)町・柿木(かきのき)町に続き、北は永福(ようふく)寺境内、北西は出羽(でわ)町、西は小立野(こだつの)台地の前田家家中屋敷、南も小立野台地の与力(よりき)町に接する。天神町沿いは片側町で他は両側町。はじめ本町(元禄九年書上「片岡孫作筆録」加越能文庫)、のち門前町として地子町となる。宝円寺は元和五年(一六一九)に兼六園の東隅より移ってきたもので(金沢古蹟志)、延宝期(一六七三―八一)の門前地は北東部と北西部のみで、境内の四囲を囲むまでには至っていない(延宝町絵図)。文化八年(一八一一)の肝煎は庄七、組合頭は羽村屋清助(魚・鳥商売)・杉木屋清兵衛(地謡役)で家数は一一二。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by