実川 延一郎(読み)ジツカワ エンイチロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「実川 延一郎」の解説

実川 延一郎
ジツカワ エンイチロウ


職業
歌舞伎俳優

本名
沢ノ井 増吉

別名
別名=市川 福瓶,市川 広蔵

生年月日
明治8年 7月21日

出身地
京都府 京都市

学歴
尋常小卒

経歴
明治14年初代尾上多美蔵一座に子役として入る。のち上京し、9代目市川団十郎に入門、市川福瓶を名乗る。その後広蔵と改め、ついで4代目実川延三郎の弟分となった。44年横田商会に入り、実川延一郎の名で女形として「親不知子不知」で映画デビュー。翌年4社合併による日活創立に伴い日活に入社、尾上松之助ら京都派の立て女形として多くの旧劇に出演した。大正5年天活に転じ、流行の連鎖劇に数多く出演するが、翌6年連鎖劇興行の中止以後は実演に転じた。9年日活京都に復帰。「忠僕直助」で尾上松之助、「塚原卜伝」で市川姉蔵の共演者をつとめて以来、両者の共演者として活躍し、また「祐夫吉松」「十二刻の間」に主演。15年松之助が倒れてからは脇役に回り、「砂絵呪縛」「丹下左膳」「佐渡情話」など昭和初期の多くの日活時代劇に出演した。

没年月日
昭和15年 4月10日 (1940年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「実川 延一郎」の解説

実川 延一郎
ジツカワ エンイチロウ

明治期の歌舞伎俳優



生年
明治8年7月21日(1875年)

没年
昭和15(1940)年4月10日

出身地
京都市

本名
沢ノ井 増吉

別名
別名=市川 福瓶,市川 広蔵

学歴〔年〕
尋常小卒

経歴
明治14年1代目尾上多美蔵一座に子役として入る。のち上京し、9代目市川団十郎に入門、市川福瓶を名乗る。その後広蔵と改め、ついで4代目実川延三郎の弟分となった。44年横田商会に入り、実川延一郎の名で女形として「親不知子不知」で映画デビュー。翌年4社合併による日活創立に伴い日活に入社、尾上松之助ら京都派の立て女形として多くの旧劇に出演した。大正5年天活に転じ、流行の連鎖劇に数多く出演するが、翌6年連鎖劇興行の中止以後は実演に転じた。9年日活京都に復帰。「忠僕直助」で尾上松之助、「塚原卜伝」で市川姉蔵の共演者をつとめて以来、両者の共演者として活躍し、また「祐夫吉松」「十二刻の間」に主演。15年松之助が倒れてからは脇役に回り、「砂絵呪縛」「丹下左膳」「佐渡情話」など昭和初期の多くの日活時代劇に出演した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報